国家権力に縛りをかける憲法の前文に、こんな一節がある。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもの」。その国政で起きた自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件は、「政治とカネ」で国民の信頼を大きく裏切る国会議員の実態を改めて浮き彫りにした。現在の政治家は、果たして国民の「信託」に応えているのか。武蔵野美術大の志田陽子教授(憲法学)に、憲法が描く政治の在り方を聞いた。(関口克己、三輪喜人)

 志田陽子(しだ・ようこ) 1961年、東京都生まれ。武蔵野美術大造形学部教授。東京都立大客員教授。早稲田大院法学研究科で博士(法学)。憲法研究者。日本女性法律家協会幹事。著書に「『表現の自由』の明日へ」「映画で学ぶ憲法」など。

◆「自由」を開き直る言葉として使うべきではない

 憲法の前文には、国民主権や基本的人権の尊重、平和主義など憲法の基本的な理念が凝縮されている。

憲法の視点から、「政治とカネ」の問題などを語る武蔵野美術大の志田陽子教授

 前文にある「厳粛な信託」とは、国政は本来、国民のものであり、衆院の資料では「国民からの信託に背かないように権力を行使する責任を負う」という趣旨だと説明されている。志田さんも「前文は『正当に選挙された』を強調し、国政が私物化されてはいけないことを強く意識している」と読み解く。  裏金事件では、パーティー券の販売ノルマ超過分を政治資金収支報告書に記載せず、組織ぐるみで国民から事実を見えないようにしていた。「公正」な政治とはかけ離れた実態があった。しかし、政治資金の透明化を巡る議論では、岸田文雄首相は「政治活動の自由」を盾に、大幅な制度改革に消極的だ。  志田さんは「お金は政治家が信頼に足る活動をしているかどうかを国民が判断する重要な要素だ」と説明。政治活動の自由についても「信頼や責任を前提とした特殊な自由であり、開き直る言葉として使うべきではない。むしろ政治に理不尽な拘束や同調圧力があるとき、これを乗り越え筋を通すために言うべき言葉だ」と指摘する。  志田さんは、前文にある「福利」にも注目する。福利には、お金だけでなく、名誉や誇りなども含まれるという。「今の政治は国民が納得できる福利を還元しているのか。そう思っている国民はどれぐらいいるだろうか」と問題視する。  その象徴として考える場所がある。東京・新宿だ。

◆裏金事件を「日本は変わった」と言える節目に

憲法の視点から、「政治とカネ」の問題などを語る武蔵野美術大の志田陽子教授

 億単位の税金を投じたプロジェクションマッピングで、都庁舎がきらびやかな映像で彩られる陰で、生活困窮者が食料配布に数百メートルの列をなす。区内の公園には「排除アート」とも呼ばれるベンチが置かれ、路上生活者が横になり体を休めようとするのを邪魔する。  「民主主義は一度選んだら終わりのお任せコースではない」。憲法は政治家を選び直す選挙という手だてを国民に用意している。  志田さんは言う。「何をやっても無駄という冷笑を国民が捨て、自分たちで正しい制度を作ろうと動き出せば変えられる。裏金事件は『あの時、国民が本気で怒ったから、日本は変わったね』と言えるような節目になってほしい」 

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