大阪都構想にNO 橋下氏引退表明

2015(平成27)年 大阪市を廃止して5つの特別区に分割する「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行われ、僅差で否決され、大阪市の存続が確定した。都構想を推進した橋下徹大阪市長は記者会見で、市長任期を全うした上で政界を引退すると表明。12月18日に任期満了し、政治家としての活動を停止した。

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その他の出来事

初のハワイ移民が出航

1868年(旧暦:慶応4年4月25日) 日本からハワイへの初めての移民約150人が横浜を出港した。当初はプランテーション労働者としての移住だったが、次第に生業は多様化し、日系人社会が形成された。日本人とその子孫の人口は、太平洋戦争開戦前にはハワイの全人口の3分の1を占めるまでになった。

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中央集権の府県制 スタート

1890(明治23)年 府県制・郡制が公布され、帝国議会開設を控えた地方制度が整備された。府県知事は官選で、主に内務省の幹部が派遣された。府県会で予算が不成立となった場合の原案執行権、府県会不成立の案件の専決処分権など、強い権限が知事に与えられた。内務省は財政、行政事務、土木工事、保健・医療など、幅広い分野で指揮・監督権を握り、中央集権的な統治を進めた。郡には、郡会と郡参事会が置かれ、郡行政と町村事務に対する監督行政に関する権限が与えられた。

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映画『太陽の季節』封切り 裕次郎初出演

1956(昭和31)年 日活映画『太陽の季節』が封切り。若い世代の生態を描き反響を呼んだ石原慎太郎氏の同名小説(芥川賞受賞)の映画化。慎太郎の弟で慶応大在学中の石原裕次郎さんが端役で映画デビューした。

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薬害サリドマイド出荷停止を決定

1962(昭和37)年 大日本製薬(現大日本住友製薬)がサリドマイド製剤の出荷停止を決めた。日本では睡眠薬「イソミン」として58年に発売。その後「プロバンM」の名称で神経性胃炎の薬としても販売された。出荷停止後も、9月まで商品の回収が行われなかった。服用した妊婦から手足などに奇形のある「サリドマイド児」が産まれ、薬害訴訟に発展した。

巨人・槙原投手が完全試合

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