知床半島の「核心部」とも言われる知床岬。容易に人が立ち入れず、厳格に守られてきた岬で、携帯電話基地局の建設が始まった。秋には大規模な太陽光パネル設備が完成する計画だ。2005年に知床を世界自然遺産登録に導いた午来昌・元斜里町長(87)に心境を聞いた。

 あの知床岬の台地をほじくって、太陽光パネルを浮かべてフェンスで囲って。なんて馬鹿なことを。自分たちの生活の根っこになる自然というものを破壊してまで、それが必要なのか。地元の人たちも冷静に考える必要がある。

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 知床ってのは「不便さこそ宝」なんだ。不便だからこそ豊かな自然の恵みを受けて羅臼の人も、斜里の人もみんな今日まで頑張って生きてきた。それが、小型観光船「KAZUⅠ(カズワン)」の沈没事故で突然、知床岬にも携帯電話基地局となる。知らないうちに勝手に計画が進んでいた。一番残念なのは環境省だよ。いったい知床の価値をどう考えているのか。

 漁師さんは衛星電話だとか、船舶無線とかで漁を続けてきた。確かに携帯電話がつながれば便利さ。便利だけど、みんな不便な知床に誇りや理想を持ってやってきたんじゃないのか。

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 町長に当選し、世界自然遺産へ向けて12年間運動した。初めのころは道庁なんか行くと冷たい感じしかなくて。うちの役場の職員なんか「知床みたいなあんなちっぽけなとこ世界自然遺産なんかなるはずない」みたいなこと、かなり辛辣(しんらつ)に言われてた。

 だけど屋久島の世界自然遺産登録に関わった環境省の方が本庁に戻ってきて。これはチャンスと思って羅臼の町長と一緒に何度か会ったさ。「知床に何があるの」っていうから、流氷の話をしたら、「流氷でいくか」って。

 冬は海が閉ざされ、厄介者だけど、その流氷が接岸するおかげで、知床は豊かな自然と資源を保ってきた。いまこそ、その価値をしっかり見つめてほしいのさ。

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 今回の計画を、ここで生まれ育った者として黙って見ているわけにはいかない。そしたら地元の若い人たちが「知床の自然を愛する住民の会」をつくって署名運動をやるっていう。「地元の要望」が計画を進めたが、要望していない人もたくさんいるってね。だから少しでも知床の助けになればと、責任者になった。

 いろいろな意見があるかもしれないが、ここの人たちはみんな知床の自然の恵みを受けて暮らしてきた。少なくとも遺産登録になった時の知床をそっくり残したい。そうすれば知床の価値っていうものが、子供や孫たちに「故郷の大きな宝」として引き継がれる。

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 知床五湖まで舗装道路になり、羅臼との間に横断道路も出来た。でも、それ以上奥の開発は許されない。羅臼町と共同で将来への決まりごとをお互いに決めてきた。便利はいいが、自然を壊す便利はだめだ。

 山があって、豊かな森があって、そこに生息する動物がいて、きれいな水、そして海がある。そうして生まれる多様な価値観とともにわれわれは生きてきた。来年の遺産登録20年を前に、なぜ世界自然遺産になったのか、その意味をもう一度立ち止まって考えてみてもらいたいんだ。

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 知床岬の携帯電話基地局はオジロワシの調査などの不備が指摘され、再調査の結果が出るまで工事は中断された。住民の会が6月1日から始めた「オンライン署名」(直筆も可)は17日現在、2万8千人を超えた。(奈良山雅俊)

 午来昌(ごらい・さかえ) 1936(昭和11)年、斜里町ウトロ生まれ。8人きょうだいの長男で、15歳の時に父を亡くし、開拓農家の3代目に。農業や山仕事、登山ガイドなどで一家を支えた。乱開発から知床を守るため、ナショナルトラスト運動「しれとこ100平方メートル運動」や、知床国有林の伐採反対運動に中心的に関わり、87年4月に斜里町長に。知床の世界自然遺産への登録をめざして活動し、その夢を実現させた2年後に勇退。最近まで農業を続けてきた。

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