日本経済新聞社と米コロンビア大ジャーナリズム大学院、早稲田大ジャーナリズム大学院は6月15日、学生応援プロジェクト「これからのジャーナリズムを考えよう」を早大で開いた。会場とオンラインで学生ら計約3000人が参加した。世界的な選挙イヤーを迎え、デジタル・人工知能(AI)の利用が広がる時代の報道について、専門家や記者らが意見を交わした。
パネル討論「デジタル・AI時代の選挙報道」
パネル討論にはエミリー・ベル・コロンビア大教授、早大の中林美恵子教授、日本経済新聞社の川手伊織国際報道センター部次長が登壇した。早大の高橋恭子教授がモデレーターを務めた。
高橋 AIの技術開発が進み、偽音声や偽動画が選挙に悪用される懸念が高まっている。選挙の混乱は民主主義の基盤を揺さぶる。
社会全体で備える必要があるが、こうした時代のジャーナリストはどうあるべきなのか。同時に我々にはどのようなリテラシーが必要か、討論を進めていきたい。
中林 今回のテーマは、人間としてこれからどういう社会を築いていくか、ということに直結している。「民主主義は非常に重要だ」という価値観をおとしめたい人たちに対し、譲れない価値観であることをいかに示していくかだ。
ベル 大事な点として、AIの活用などがこれまでの選挙にどの程度影響したかについて、判別するのは難しいということを指摘しておく。
ただ、広告という形ではなく個別にメッセージを送り、少数を説得することで、選挙に大きく影響を及ぼすことができる状況になっていることは問題だ。
中林 海外では選挙の中でAIを使ったフェイクニュースが増えてきており、テクノロジーに規制が追いついていないのが現状だ。
米国の大統領選のように非常に接戦が予想され、少しの票で結果が変わるというときに、フェイクニュースなどによって状況を変えようとする事態が起こっている。
同じようなことが、日本で近い将来起こらないとも限らない。
高橋 規制については5月に欧州連合(EU)が世界初のAI規制法を成立させた。
ベル 米国は欧州の動向に目を向けていて、特に法務関係でどう実装されるかに注目している。
AI規制法はまだ完璧な線引きを行ったわけではない。どこかで線を引かなければならないが、言論の自由も保障しないといけない。
中林 一般の人が自らの力でフェイクニュースなどを判断するのは現段階で非常に難しい。
そんな中、韓国では政府機関が積極的にAIを使い、危ない情報をAIに判断してもらっていると聞いて非常に興味深かった。
AIが価値観を排除してファクトだけで情報を提供し、それを知った上で人間が情報を選ぶということは可能になるのだろうか、という感想を抱いた。
高橋 膨大なビッグデータを収集しても、公平、正確にアウトプットされるとは限らないという現実がある。
中林 いかに世論が大事かということをひしひしと感じている。戦争も今の時代、世論に左右される。ロシアによるウクライナ侵略でも、ヨーロッパや米国がどの程度関わるかは世論に左右される。報道やSNSでどのような情報が入ってくるかが世論に直結する。
民主主義の価値観や人権を大事にしつつ、正しい情報を伝えて世論が変な方向に行くことをどう防ぐか。この問題の根幹は中国や米国、日本も同じではないか。
高橋 情報が兵器になっている時代と言える。米国の大統領選で一番危惧していることは何か。
ベル 選挙結果が民主的に導かれたものであるにもかかわらず、それを覆す懸念がある。民主主義は果たして大丈夫なのかという懐疑的な考えが広がっている。
ジャーナリストがいなくなれば良いという風潮すら感じる。バランス感覚がうまく働いていないことが不安だ。
高橋 デジタル・AI時代にジャーナリストに求められるスキルは何だろうか。
川手 新しい技術を貪欲に受け入れるデータジャーナリズムの先駆者でありたい。一方、AIに依存しすぎると意図せず誤った情報を取り込むリスクがある。このような事態を放置することは読者の信頼を損なうきっかけになり得る。
責任あるジャーナリズムを追求する中で、AIの活用に向き合っていく。
ベル 基本的なスキルは今も変わっていないだろう。
データについてのリテラシーがとても重要だ。AIに負けない、グーグルにできないような、色々な情報を合成して考えることの方が大事だ。
中林 長期的な視点が大切だ。AIが人類を滅ぼす可能性もある。ジャーナリズムが何ができるかを考えると、ポピュリズム(大衆迎合主義)にいかに対抗できるかが重要になる。
いわゆる陰謀論が広まる時代において、ジャーナリズムの視点から人類がどう生き延びていけるかを真剣に考えた上で、自信を持って報道に携われるかだ。
AIの時代においてもジャーナリズムは最も重要で、必要とされる仕事だ。時代が大きく変化している今だからこそ、土台を築いていく分岐点に来ている。
基調講演 エミリー・ベル・コロンビア大教授「フェイク見抜く道標に」
2024年は世界的な選挙イヤーであると同時に、誰もが生成AIを主要なツールとして使えるようになる年でもある。既に今年1月、生成AIが選挙のあり方を揺るがすような出来事が起きた。
米国の大統領選を巡り、予備選への投票を控えるよう呼びかけるバイデン大統領の偽音声が出回ったのだ。
洗練されているとはいえない生成AIによる音声でも、人々が投票所に行くかどうかについて、非常に大きな影響を与えうるということを証明した。
こうした現状を踏まえると、生成AIは現時点では、民主主義に非常に悪い影響を与えているといえるだろう。
ある調査で選挙に関する基本的な質問を生成AIに聞いたところ、回答には間違いが多かった。有権者に質の高い情報を提供するという役割も期待できないのが現実だ。
ではどう対処すべきだろうか。まずは規制だ。生成AIに関わる企業はデータへのアクセスを制限しようとするが、これからは開示する姿勢が求められる。
次に報道がテクノロジーを学び、専門性を高める必要がある。3つ目はジャーナリストが信頼できる存在になるということが大切だ。
ジャーナリズムが難しい分野であることは間違いない。政府や企業がジャーナリズムの成功を願っているとはいえないが、一般市民は頼りにしており、何が本物なのかを伝えてほしいと思っている。
ジャーナリストは「偽情報の海」ともいえる世界から抜け出すための道標(みちしるべ)になるべきだ。
開演のことば ジェラニ・コブ米コロンビア大ジャーナリズム大学院長「正しい情報、重要性増す」
ジャーナリストは人々に正確な情報を提供する役割を担っている。偽情報が氾濫する世界で正しい情報は貴重だ。ところが、足元では業界全体で人員削減が起きている。
米国では多くのジャーナリストが解雇された。ジャーナリストとして働くことはますます難しくなっている。
メディアへの信頼も、前例のないほどの崩壊に直面している。英ロイター・ジャーナリズム研究所が2023年に行った調査によると、米国や英国でメディアを「信頼している」と答えた人は3割程度にとどまった。
ソーシャルメディアでは情報が氾濫し、それが真実かどうかに関わらず、多くの人がうのみにしている。米国の若者はソーシャルメディアから得た情報に、報道機関からの情報と同程度の信頼を置いているという。
また、AIが進展することで、知的財産や著作権の保護はどうなるのかについても、考えないといけない。
ジャーナリストは重要な存在だ。世界中で起きている民主主義への挑戦に目を向けると、これほど必要とされているときはない。
民主主義国家の強さは、その社会におけるジャーナリズムの強固さ、どの程度自由な報道が行われているかに比例している。
主催者あいさつ 田中愛治・早大総長「技術進歩で報道現場一変」
2018年に初回が開かれて以来、新型コロナウイルスの感染拡大による中止を挟み、6回目を迎えた。
今回のテーマは、24年が世界的な選挙イヤーとなっていることを踏まえ、デジタル・AI時代の選挙報道をどうしていくかということだ。
民主主義を支えるメディアの役割はますます重要になっている。デジタル技術の飛躍的な進歩で、報道の現場は様変わりしてきている。
ニューヨークから来日してくれたコロンビア大の登壇者を心から歓迎する。現役の記者も参加し、今回のシンポジウムはメディアを目指す学生にとって大変有益な機会になる。
メディアを目指さない学生にとっても、情報の受け手としてのリテラシーを磨くチャンスになるだろう。
シンポジウムの内容を学習や研究のためだけにとどめず、今後の人生に生かしてほしい。
イベントの様子はNIKKEI LIVE(https://www.nikkei.com/live/event/EVT240423002/archive)でご覧いただけます。
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