ユネスコの世界遺産委員会は21日からインドの首都ニューデリーで開催されます。

日本政府が世界文化遺産として推薦しているのは、新潟県佐渡市にある「佐渡島の金山」です。

「佐渡島の金山」をめぐっては先月、ユネスコの諮問機関が4段階の評価で上から2番目となる「情報照会」の勧告をまとめ、このなかでは世界遺産への登録を考慮するに値するとしつつ、江戸期よりあとの証拠が大部分を占める一部の地区を除くことなど、3点の追加情報を求めていました。

また、韓国が「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だ」として反発した経緯があり、日本政府は丁寧な議論を行っていく姿勢を示してきました。

「佐渡島の金山」の登録の可否については、26日から29日の間に審議される見通しとなっていて、世界遺産委員会での審議の行方が注目されます。

「佐渡島の金山」とは

「佐渡島の金山」は、16世紀から19世紀にかけ機械を用いない伝統的な手工業で金が生産され、17世紀前半には世界の金の生産量の10%を占め世界最大の金の生産地になったなどとして、日本政府が世界文化遺産への登録を目指し推薦書を提出しています。

「佐渡島の金山」を構成するのは「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2つの資産です。

このうち、西三川砂金山は佐渡で最古の砂金山で、山を掘り崩しあと、大量の水を流し込み砂金を採る「大流し」という独特な手法がとられ、現在も残る堤や水路、山を掘り崩した跡も推薦の対象となっています。

相川鶴子金銀山は相川金銀山と鶴子銀山を1つにまとめた資産で、このうち相川金銀山は江戸時代から本格的な開発が始まり、国内最大の金の産出量を誇りました。

江戸時代の坑道、「宗太夫坑」は観光名所として有名なほか、山の上から金の鉱脈を74メートルの深さまで掘り、山が割れたように見える、「道遊の割戸」は「佐渡島の金山」のシンボルとして知られています。

一方、室町時代から昭和にかけて採掘が続けられた鶴子銀山では、地表近くの鉱脈を掘った「露頭掘り」の跡や滝が流れる場所に坑道の入り口がある「大滝間歩」などが代表的な資産です。

こうした鉱山のほかに、金銀の管理や精製する場所があった「佐渡奉行所」の跡地や奉行所と金銀山を結ぶ道、「京町通り」など鉱山周辺の生産体制に応じて形成された集落も資産として推薦されています。

「佐渡島の金山」めぐる経緯

「佐渡島の金山」の資産を世界文化遺産に登録しようという地元の活動は、地元の佐渡市に市民団体が発足した1997年から本格的に始まりました。

その後、2004年以降、佐渡市や新潟県に担当部署が設置され、文化財の調査や保全活動などが行われるようになり、2010年に「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」という名称で、国内の推薦候補の前提となる「暫定リスト」に入りました。

しかし、その後は2015年度以降、4回にわたりユネスコへの推薦は見送られました。

このため新潟県と佐渡市は、遺産の名称を「佐渡島の金山」に改め、金の生産に特徴があることを強調するとともに、対象時期を戦国時代末期から江戸時代に限定して、海外との交流が限られる時代に独自に金の生産システムを発展させた貴重なものであることなどをまとめました。

政府・与党内には、韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることも踏まえ、慎重な対応を求める声もありましたが、2022年2月、政府は「佐渡島の金山」をユネスコに推薦することを決め、推薦書を提出しました。

しかし、この推薦書の中で構成資産の鉱山をめぐる一部の記述で不備を指摘され提出し直すことになり、翌年の登録実現は難しい状況となりました。

また、この推薦書の不備を巡っては、ユネスコからおととし2月末に指摘がありましたが、この年の7月まで新潟県や佐渡市に伝えられず、情報共有の面でも批判の声があがりました。

当時の末松文部科学大臣は、情報共有ができていなかったことについて新潟県の花角知事に対して、「ユネスコの態度を硬化させないためにはやむなしの対応だった」と釈明したうえで、推薦書の再提出に向けて協力を要請しました。

これに対し花角知事は情報共有を十分に図るよう求めた上で、推薦書の再提出に向けて連携していくことを確認し、佐渡市も協力して推薦書を修正し、去年1月に再提出しました。

これを受け、ユネスコの諮問機関は去年8月に現地調査を行った上で先月、「佐渡島の金山」について4段階の評価で上から2番目の「情報照会」の勧告をまとめています。

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