親しい人の顔を覚えられなかったり、目の前にいる人の顔を識別できなかったりする「相貌失認」の人は、これまで考えられていたよりも多い可能性が研究で明らかになった。(PHOTOGRAPH BY BALLBURN_PHOTOGRAPHY, GETTY IMAGES)

伝説の霊長類学者ジェーン・グドール氏、俳優のブラッド・ピット氏、そして『妻と帽子をまちがえた男』の著者として知られる神経学者の故オリバー・サックス氏の共通点は何か? 答えは親しい人や有名人の顔を覚えられなかったり、見分けがつかなかったりする「相貌失認(そうぼうしつにん)」だ。

長年、相貌失認はまれな障害とされてきたが、2023年に学術誌「Cortex」に掲載された論文によれば、相貌失認の人はこれまで考えられていたよりも多い可能性があるという。この研究では、相貌失認の重さや症状は連続的で、その有無を単純に判定できず、使用する基準によって、成人の1〜5%に見られるとされている。

「相貌失認は高次視覚機能障害で、視力には問題ないのですが、顔を認識できません」と米コロラド大学医学部の神経学教授で行動神経学を専門とするクリストファー・M・フィリー氏は説明する。「彼らの脳は、顔の要素を処理できないのです」

「重度の相貌失認がある人は、スーパーで少し離れたところにいる自分の配偶者を認識できなかったりします」と米VAボストンヘルスケアシステムのボストン注意・学習研究所の共同所長で認知神経科学者のジョー・デグティス氏は続ける。

「認識できるかどうかは状況によります。朝、隣で目覚めたときや、仕事から帰宅したときには、配偶者を認識できる可能性が高いですが、予期せぬ状況では認識できないことがあるのです」。また、相貌失認がある人は、顔を覚えるまでに、人の顔をより多く、長く見る必要があるという。

「発達性」と「後天性」がある

相貌失認は1つの障害ではなく、相互に関連する一群の障害だとカナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学の神経学・神経科学教授であるジェイソン・バートン氏は説明する。「親しい人の顔は覚えられないが、写真の顔の違いはわかるというタイプもあれば、写真の顔の違いがわからないタイプもあります」

相貌失認には、おそらく遺伝的な要因による「発達性」のものと、脳の損傷などによる「後天性」のものがある。

英ボーンマス大学の心理学教授であるサラ・ベイト氏によると、発達性相貌失認については、全員に相貌失認が見られる家族もあるが、原因の遺伝子を探す研究はまだ終わっていないという。米ハーバード大学医学部の精神科准教授でもあるデグティス氏も、「発達過程で異常が起きたのか、それとも遺伝要因があるのかは、まだわかっていません」と言う。

2023年に学術誌「Brain Sciences」に発表されたレビュー論文 では、 発達性相貌失認の人とそうでない人の脳の構造と活動を比較した63件の研究を分析している。その結果、発達性相貌失認の人は、そうでない人に比べて、脳の「紡錘状回顔領域(FAA)」と他の顔認識に関わる領域との結合に問題があることが明らかになった。

生まれてからずっと相貌失認がある人は、親しい人の顔を認識したり覚えたりできない異常性に気づかず、自分の不注意や記憶力の悪さのせいだと思い込んでいる可能性がある。

「相貌失認の人の多くは、20代か30代、場合によってはそれ以降まで、自分の相貌失認に気づかないのです」とデグティス氏は言う。

自閉スペクトラム症(自閉症、ASD)の人では相貌失認が多く見られることが知られている。

「自閉症の人の3分の1から半数は人の顔を認識するのが苦手ですが、それには別の理由があるかもしれません」とバートン氏は言う。自閉症の人は人と目を合わせるのを避けることが多く、バートン氏は、このことが人の顔がわからない原因の1つになっているのではないかと考えている。

発達性相貌失認の人の顔認識能力は、顔の情報を処理するしかたと関連している可能性がある。

ベイト氏らは、相貌失認のある人は、目ではなく口元や顔の下の方に注目する傾向があることを発見している。対照的に、人並み外れた顔認識能力を持つ「スーパーレコグナイザー」と呼ばれる人々は、鼻と顔の中央部に注目するという。

後天性相貌失認

もともと顔を認識する能力が高かった人でも、脳の損傷、脳腫瘍、脳卒中、脳炎、アルツハイマー病などの神経変性疾患が引き金となって相貌失認になることがある。新型コロナウイルス感染症の後遺症で相貌失認になった症例も報告されている。

現在62歳のデイシア・リードさんは、人の顔がわからないことに長年悩まされてきたが、6年前に米ダートマス大学などの研究者が運営する相貌失認研究センターのオンラインアンケートに答えて、自分の症状に名前があることを初めて知った。

リードさんは、小学生のときに頭部を負傷したことでてんかんと記憶障害に悩まされるようになり、若い頃にてんかん発作を治療する脳の手術を受けた。手術後、てんかん発作は改善されたが(薬物療法は続けている)、相貌失認が激しくなってしまった。

「顔は覚えられます。ただ、誰の顔かがわからないのです」とリードさんは言う。「髪型が変わってしまうと、もうだめです。誰だか全然わかりません」

リードさんのように適切な診断を受けることは、非常に良いことだ。デグティス氏は、「自分は相貌失認なのだと知ることで、重荷から解放され、人生がずっと意義深いものになるのです」と指摘する。

フィリー氏は、「パーティーに行って、知っている人がいるにもかかわらず、その人が誰だかわからないというのは、ばつが悪いものです」と言う。「相貌失認の人は、失礼でも、人嫌いでも、変わり者でもありません。脳に問題があって、知っている人の顔を認識できないだけなのです」

ベイト氏によると、相貌失認の人の中には、仕事に影響があると打ち明ける人もいるという。例えばビジネスの世界では、顧客の顔を認識できないと、顧客をつなぎとめるのに苦労することがある。教師なら、生徒の顔を認識できなかったり、顔を覚えられなかったりすると、教室の運営に支障をきたすことがある。

改善する方法はある?

近年、相貌失認の人の顔認識能力を改善するために、さまざまな介入が試みられている。

例えば、社会的な結びつきや行動を促す「オキシトシン」というホルモンを使う方法がある。発達性相貌失認の人にオキシトシンかプラセボ(偽薬)を経鼻スプレーで1回投与し、45分後に2つの顔認識テストを行った研究では、オキシトシンを投与された人では能力の一時的な向上が見られた。

発達性または後天性の相貌失認の人々が、顔を見分ける能力を高めるために設計されたコンピューター訓練プログラムを11週間受けたところ、少なくとも3カ月間は顔認識能力が向上したとする研究もある。

顔に集中したり、顔の違いを見分けたりする能力を向上させるオンライン訓練プログラムもある。このような練習を定期的に行うと、相貌失認の人の顔認識能力が改善する可能性がある。

「練習すると、よく認識できるようになる人が多いのです」とバートン氏は言う。「相貌失認が治るわけではありませんが、顔の認識が30%くらいは楽になります」

このような改善が、人の顔を思い出したり覚えたりしやすくなることにもつながるかどうかは、まだわからない。

相貌失認の人は、巧妙な戦略で障害を補っていることが多い。ベイト氏によると、彼らは、相手の結婚指輪や歩き方や話し方を覚えようとするという。教師なら、座席表を利用するという手もある。

社交の場では、相手についての手がかりを引き出すために、会話の中にうまく質問を織り交ぜて自分たちの関係を把握しようとしたり、パートナーや友人に会話の中でその人の名前を出してもらったりすることが助けになる、とベイト氏は言う。デグティス氏によると、誰にでも愛想よく接することで対処する人もいるという。

リードさんは、どうしてもわからないときには「あなたの名前をど忘れしてしまいました」と言うこともあるという。

場合によっては、自分には相貌失認があると相手に打ち明けることも助けになる、とバートン氏は言う。「相貌失認は恥ずかしいことではありません。私は患者さんたちに、『相貌失認にあなたのやりたいことの邪魔をさせないで』と言っています。相貌失認は問題ですが、問題を回避する方法はあるのです」

文=Stacey Colino/訳=三枝小夜子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年7月1日公開)

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