イタリアの固有種で唯一の大型淡水ガニ「ポタモン・フルビアティレ(Potamon fluviatile)」は、「かつて生息していた古代の群れの生き残り」だ。彼らはローマ帝国の興亡を目にしてきたかもしれない。トラヤヌスの広場で撮影。(PHOTOGRAPH BY EMANUELE BIGGI)

2005年、ローマの中心部にあるフォロ・トライアーノ(トラヤヌスの広場)で発掘を進めていた考古学者らが、古代の下水道を掘り当てた。その内部からは、大理石でできた紀元4世紀のコンスタンティヌスの胸像のほか、イタリアの固有種としては唯一の大型淡水ガニである「ポタモン・フルビアティレ(Potamon fluviatile)」の群れが見つかった。研究者らは、この群れの起源は非常に古く、ローマが単なる渓谷の湿地帯に過ぎなかった時代にまでさかのぼると推測している。

古代ローマ帝国の興亡を目にしてきたかもしれない彼らだが、詳しい研究がほとんど行われておらず、その存在は過去約15年間、ほぼ忘れ去られていた。過去3年間にわたる新たな調査データは、かつては豊富だったこの群れが消滅の危機に瀕している可能性を示唆している。

ポタモン・フルビアティレはイタリア各地を流れる大小の川に巣穴を掘って暮らしている。トスカーナで撮影。(PHOTOGRAPH BY EMANUELE BIGGI)

ローマのカニの起源

当然ながら、彼らの生息地は過去何千年もの間に大きく変化してきた。現在コロッセオとフォロ・ロマーノがある一帯は、かつてはテベレ川の水が流れ込む湿地だったと、自然誌研究家のジャンルカ・ダミアーニ氏は言う。

カニの祖先たちは、川を幹線道路のように利用してこの地域を移動していたものと思われる。紀元前6世紀にフォロ・ロマーノが建造された際、ローマ人は、一帯の水を排出してテベレ川に集めるために、現在も使用されている下水道網であるクロアカ・マキシマを建設した。

この工事が行われた時期こそが、群れがローマの下水道にずっとすみ続けてきたと研究者が考える理由のひとつだ。都市化により、カニはテベレ川から切り離され、仲間から隔離されて、発展を続ける都市の真ん中に取り残された。

「彼らは古代からずっとローマの中心部から動けずにいたのです。今われわれが目にしているのは、かつて生息していた古代の群れの生き残りです」とダミアーニ氏は言う。

およそ2000年もの間、カニたちは古代の下水道システムを利用して都市の地下を移動してきた。特にトラヤヌスの広場の下には、人間によるアクセスがほぼ不可能な運河やトンネルが集中している。カニが地上に姿を見せることはほとんどなく、出てくるのは夜間、人間が出すゴミや動物の死骸を食べるときだけだ。

「ローマの地下、特に古代フォロ・ロマーノ周辺は水が非常に豊富で、多くの通路や隠れ場所があり、生き延びるための条件が整っています」と、イタリア、ローマ・サピエンツァ大学の環境生物学者マルコ・セミナーラ氏は言う。

「この場所でカニが長く生き延びてきたことは、驚くには当たりません」。ローマ帝国が崩壊してフォロ・ロマーノが使用されなくなったことで、カニたちはだれにも邪魔されずに一帯で繁殖できるようになり、そのおかげで長く生き残ったのだろうと、氏は述べている。

ローマの淡水ガニは、トラヤヌスの広場の下水道にいるこのメスのように、ハリネズミなどの動物の死骸を食べることがある。(PHOTOGRAPH BY GIANLUCA DAMIANI)

カニについてわかっていること

セミナーラ氏によると、地元の科学コミュニティでは、100年近く前から群れの存在が漠然と認識されていたという。2005年の発掘作業により、群れの規模が明らかになるとともに、カニの研究に対する関心が一時的に高まった。

2004年から2006年にかけて、地元ローマ・トレ大学の研究者が500匹近い個体を捕獲して識別を行った。研究チームは2008年、ローマのカニは同種のほかの個体よりも13〜20%大きいことを報告している。ローマのカニは甲幅が平均で約7センチあり、これは近縁種に比べてサイズが増大する巨大化の一例かもしれない。

同研究ではまた、ローマのカニは成長が遅く、同種のほかの個体よりも最大5年半長生きする可能性が指摘されている。サイズや成長、寿命に関するこうした違いは、数千年という時間をかけて形成されたものと思われる。

ポタモン・フルビアティレの子ども。十分に大きくなるまで、親が育児嚢(のう)の中に入れて持ち運ぶ。(PHOTOGRAPH BY EMANUELE BIGGI)

この研究のきっかけとなった2005年の調査ではまた、ずっとカニたちを守ってきた地下運河のネットワークの発掘も行われたが、これによって彼らはカモメやカラスなどの捕食者に狙われることになった。最近では生きたカニよりもカニの体の一部を見つけることの方が多くなっていると、セミナーラ氏は言う。

加えて、気候変動で地表の温度が上がり、湿度が下がっているせいで、カニたちは涼しさと平穏を求めてさらに地下深くまで潜るようになった。「今では、カニたちは非常に深いところまで潜ってしまい、まったく見つけることができません」

2020年、コロッセオ考古学公園は、コロッセオとフォロ・ロマーノの間に生息する多様な動物相の監視作業を支援する人員を起用した。

ダミアーニ氏とセミナーラ氏が所属するグループでは、夜間に懐中電灯を持ってカニを追跡したり、光ファイバーカメラで泥の中にある浅い巣穴を覗き込んだり、現在の個体数を把握するために罠を仕掛けて個体を記録したりといった作業を行っている。結果は芳しいものではなく、過去3年間で新たに確認された個体は6匹だけだったと、ダミアーニ氏は言う。

この事実は必ずしも群れが絶滅の危機に瀕していることを意味するわけではないものの、彼らが急速に減っていることが示唆された。もしカニが地下深くの安全な場所での暮らしに適応できれば、今後も長く生き残る可能性は残されているとセミナーラ氏は考えているが、一方で氏はこうも付け加えている。

「これまでのローマの発展の経緯や、テベレ川がもはやカニにとって幹線道路として利用できる場所ではないこと、さらには気候変動のことなどを考えると、この群れに明るい未来が待っているとはとうてい言えません」

生き残りの可能性は

カニを生き延びさせるには、彼らについて研究する資金を集め、また、市から許可を得て運河の露出した部分に鉄格子を設置して、鳥による捕食を防ぐことが必要となる。「われわれがくわしい研究を望むのは、彼らについて知るためだけでなく、救うためなのです」とダミアーニ氏は言う。「この群れを消滅させるわけにはいきません」

市はこれまでのところ、鉄格子と、通行人にカニの存在を知らせる看板を設置したいというダミアーニ氏らの請願を却下している。その理由は、古代遺跡の景観が損なわれるというものだ。「彼らはカニのことなど気にしていません。彼らにとってより大切なのは、コロッセオを見に来る観光客なのです」とダミアーニ氏は言う。

セミナーラ氏は、いつの日か十分な資金と関心が集まり、カニの調査が進むことを願っている。今のところ、このカニを気にかけている者たちにできるのは、ローマ遺跡の地下深くで彼らが生き延びられるかどうかを見守ることだけだ。

「このカニの存在は民話の世界そのものです」と氏は言う。「こんな生物はほかにいません。イタリアの水域に生息する唯一の大型淡水性甲殻類がフォロ・ロマーノにいるという事実は、今後どの時代においても驚きをもって受け止められるでしょう」

文=Asia London Palomba/訳=北村京子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年7月8日公開)

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