「エンドリング」という言葉をご存じだろうか。主に人間の活動により絶滅の瀬戸際に追い詰められた動物種のうち、知られる限り最後の生き残りとなった個体のことだ。例えば、1914年に死んだリョコウバトの最後の1羽だった「マーサ」。2018年に死んだキタシロサイの最後のオスだった「スーダン」もあてはまる。エンドリングは、自身が気づいていようといまいと、たった1匹で絶滅の重荷を背負わなければならない。
「最後の生き残り」という表現に人々が惹きつけられるのは、これをテーマにした様々な創作物が数多く生み出されていることからも明らかだ。特に、アニメ『アドベンチャー・タイム』や映画『アイ・アム・レジェンド』など、「地球上最後の人間」を描いた作品は多い。
エンドリングは、この設定に新しい、直観的な形で血と肉を与えたものだ。あまりにも多くの種が、人間のせいで絶滅の危機に瀕(ひん)しているという事実を考えれば無理もない。
「『エンドリング』とは、これまで聞いたなかで最も寂しい単語の一つです」と話すのは、脚本家であり、ディレクター、プロデューサーでもあるJ・J・ジョンソン氏だ。ジョンソン氏が手掛けたテレビシリーズ『Endlings(エンドリング)』は、4人の子どもが宇宙人の友だちと協力して、最後の生き残りとなった動物たちを救う使命を果たすお話だ。
一族の最後の生き残りを意味する「エンドリング」という言葉は、1996年に、米国にあるリハビリセンターの医師たちによって提案された。以来、これに着想を得た詩、バレエ、テレビ番組、ビジュアルアート、ビデオゲームのほか、クラシックからヘビーメタルまで様々なジャンルの楽曲も数多く生まれている。
始まりはフクロオオカミ
エンドリングにまつわるほとんどの作品は、元をたどると2001年にオーストラリア国立博物館で開催されたある展示に行き着く。そこでは、エンドリングという言葉の定義とともに、1936年に飼育下で死んだフクロオオカミが展示され、生きていた頃の動画が上映された。これが、知られる限り最後のフクロオオカミだった。
現在展示は終了しているが、これによってエンドリングとは何かが広く知られるようになった。そして、この感情を揺さぶる単語を実際の個体と直接結び付けることで、絶滅の危機に瀕しているほかの動物に対する共感を抱かせる役割を果たした。
「避けようのない敗北に対して戦い続ける『最後の一匹』という物語には、ある種の神話性と魅力があります」。そう話すのは、ノルウェーにあるスタバンゲル大学の歴史学者で、エンドリングに関して幅広く執筆しているドリー・ヨルゲンセン氏だ。「これらすべての動物たちに関しても言えることです。最後の一匹になってしまったら、もうそれで終わりなのですから」
しかし、そんな物語にも明るい要素はある。
「エンドリングは、圧倒的に不利な状況に直面したときでも、希望と回復力の力強いシンボルになることができます」と、ゲーム開発会社「ヒーロービート・スタジオ」の最高経営責任者を務めるハビエル・ラメロ氏は言う。
2022年に、ラメロ氏は、最後の生き残りとなったキツネ一家のサバイバルストーリーを描いた「エンドリング ‐ エクスティンクション イズ フォーエバー」というビデオゲームを開発した。
「種で最後の生き残りという状況は、何ものにも打ち負かされない生きる精神を体現しています。そしてそれは、自分たちの限りある命に向き合い、後の世に何を残せるかを考えるよう促すのです」
ラメロ氏のビデオゲームも、ジョンソン氏のテレビシリーズも、エンドリングを通して行動を起こすよう人々に訴えかける。「目まぐるしく変化する環境のなかで、生き残りをかけて戦うキツネの目を通して想像の世界を経験することで、プレーヤーは生態系の劣化という現実に直面するよう迫られ、自分に何ができるかを考えるようになります」と、ラメロ氏は話す。
ジョンソン氏は、若い世代に正直に状況の深刻さを伝え、同時に希望のある実際的な学びを提供することが重要だと考えている。
「大人は子どもを過小評価しがちですが、子どもたちにも受け止めることはできます。いたるところで耳にし、目にしていますから。ただ、上からものを言われることが嫌なだけです」
人々の行動にまでつながるか
保護活動が、このエンドリングというテーマに注目したのは、気が重くなるような数字ばかりを見せるよりも、魅力あるキャラクターの物語の方がずっと簡単に支持を得られるためだ。
「『最後の生き残り』は、人間の物語にもしばしば登場するテーマですから、結果として常に様々な人の興味を引き付けるものなのです」と、英マンチェスターメトロポリタン大学保全生物学準教授のアレキサンダー・リーズ氏は言う。
「この概念の力を利用して、手遅れになる前にほかの種を救えると考えています。自然に対して人々が抱くあふれんばかりの感情に訴えかけて、生物多様性が失われつつある今の状況を変え、これ以上エンドリングを増やさないようにしなければと思わせる必要があります」。リーズ氏は、絶滅した鳥のエンドリングに関して、現地調査を行った経験がある。
とはいえ、このアピールの仕方には問題もある。一つは、エンドリングが明らかに擬人化されているという問題だ。
ピンタゾウガメの最後のオスだった「ロンサム・ジョージ(孤独なジョージ)」は、本当に孤独だったのだろうか。誰にもそれを知るすべはない。しかし、ジョージのために恋人を探そうという努力は、国際的な支持を集め、原産地であるガラパゴス島やそれ以外の地域での保全活動につながったと、非営利団体「ガラパゴス・コンサーバンシー」元会長のヨハンナ・バリー氏は言う。
2020年に、バリー氏はジョージが保護活動に与えた影響について次の声明を出した。「ジョージは、科学、保全の専門知識、政治的意思が、共通の目的のために足並みをそろえたときに目覚ましい進歩が得られるということを象徴する存在になりました」
しかし、カリスマ性のある種だけに偏って愛情を注ぐことには注意しなければならない。人間の共感を最も必要とする種が、必ずしもピンタゾウガメのように注目される種であるとは限らない。
「私たちはいまだに、毎年のように新種を発見し続けています。その多くは、小さな無脊椎動物などであり、存在が知られる前に絶滅している可能性すらあります」と、2020年に出版された詩集『Endlings(エンドリング)』の作者ジョアンナ・リリー氏は言う。「このように目に見えない生き物たちは、人間が知らぬ間に存在し、絶滅しているのかもしれません。本当に心が痛みます」
結局のところ、エンドリングは新しい層の人々に、新しい視点を通して世界を体験するように呼びかける。古生物画家のジュリオ・ラセルダ氏による「エンドリング」と題された絵には、エラスモテリウム(Elasmotherium sibiricum)またはシベリアンユニコーンと呼ばれる絶滅種の最後の1頭が、荒野をじっと見つめる姿が描かれている。
種の絶滅を目前にしながらも、この絵のなかのユニコーンは確かに生きている。エンドリングは、一つの種が失われるというだけにとどまらず、地球におけるある生き方がすべて失われることの象徴なのだ。例えば、キーストーン種(生態系の均衡を保つために重要な役割を果たす種)の絶滅は、「その生息地全体の崩壊を意味することもあります」とラセルダ氏は言う。
「種とは、単なる個体の集まり以上のものです。エンドリングの死は、たくさんの個体が失われるよりもはるかに大きな意味を持つのです」
文=Becky Ferreira/訳=荒井ハンナ(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年7月14日公開)
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