発見されたのは、椋鳩十さんが作家としてデビューする前の1926年、法政大学に通っていたころに「久保田彦保」の名前で編集・発行した雑誌「晴天」です。

およそ半年間にわたって合わせて7冊が発行され、椋さんや詩人の野口米次郎などの詩のほか、椋さんによるルナールやトルストイなどの評論が掲載されています。

このうち「退屈な秋晴」と題した詩は、椋さんの手がけた最も初期の作品とみられ、晴れた秋空に「花火を打ち上げたい」といった椋さんらしいおおらかでユーモラスな表現が特徴的です。

また、編集後記には「混沌たる詩壇に投げかけ、あくまでも気品を保って続ける」などと発行への思いがつづられ、有名か無名かにかかわらずよい作品を掲載しようとする椋さんの意気込みがうかがえます。

椋さんの孫の久保田里花さんによりますと、生前に椋さんは雑誌の存在について話していたものの、長く所在が分かりませんでしたが、里花さんや地元鹿児島の文学館が調査を進めたところ、「晴天」に詩が掲載された詩人の故郷にある郷土資料室で雑誌が見つかったということです。

久保田里花さんは「自然に対する見方をはじめ、いいと思ったものを載せようという意思が、その後の作家としての生き方にもつながっている。椋鳩十を知る上でとても貴重な資料だ」と話していました。

雑誌は、26日から鹿児島市のかごしま近代文学館で始まる企画展で展示される予定です。

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