「インタビュー ここから」見逃し配信
応援できなかった兄の夢
東京・葛飾区で生まれ育った武井さん。小学生の時に両親が離婚。父と暮らし始めますが、その父も家に帰って来なくなり、兄・情さんと2人暮らしの生活となりました。
(武井さん)
兄と2人暮らしになっちゃって。その時に、いろいろ考えて、どうしたらこんな生活からちゃんと大人になれるんだろうとか、不安だらけになっちゃうじゃないですか。まだ子どもでよく分からないから。働けもしないし。そういう中で、スポーツとか勉強で負けちゃいけないって思いが、ぶわーって強くなって。
(佐々木)
誰かに頼れる子どもではなかったんですか?
(武井さん)
なんか信じられるのはもう自分しかいないみたいな気持ちになっちゃって。中学・高校も私立の学校だったんだけど、成績がトップだと特待生で学費も免除で、月に1回、1万2000円の奨学金がもらえるっていうシステムがあったんですよ。その学校を選んで6年間全部ただにする方法でしか学校に行けないと思ってたんで。なんとか大人になるために大学には絶対行かないといけないって思ってそれを頑張ってたので。楽しく遊んだ思い出なんてほとんどなくて、高校ぐらいまで。
そのころ、一緒に暮らしていた兄の情さんは、高校に進学せず、俳優を目指して生活していました。
(武井さん)
坂上忍さんの付き人とかやって、俳優を目指しだしたんですけど。僕はそのころ、兄貴が逃げたと思って。勉強したり、社会で頑張っていくっていうのから逃げたって思っちゃって、中学1~2年ぐらいのころから兄貴とあんま話さなくなって。兄貴と口ゲンカとかたくさんするようになって、「芸能人になるとか夢みたいなこと言ってんじゃねえよ」って。つかみ合いのケンカとかするようになっちゃったんです。いまだに覚えてるんですよ、俺が責めたときの兄貴の顔。なんか怒りでも悲しみでもない絶妙な表情してたんですよね。
「もう一度お芝居をしたい」兄の願い
それぞれの道を歩み始めた2人でしたが、武井さんがアスリートとして活躍し始めたころ、兄ががんになったことを知ります。
(武井さん)
兄貴の抗がん剤治療が始まったころ、「何かしたいことねえか?」って聞いたら、「映画見たい」って言うんですよ。兄貴が見たがってた映画が「メジャーリーグ2」っていう、石橋貴明さんがハリウッド映画に抜てきされて出演した映画で、その映画がどうしても見たいっていうから、兄貴は点滴を打ちながら一緒に見に行ったんですけど。その時、兄貴がもう、病気になる前みたいに楽しそうにケラケラ笑いながら「タカさん、すげえな~」って。
その時に、俺、言おうかなと思ってたんですよ。「がんで、この先何があるか分かんないから、もっとやりたいことあったら言ってよ」とか言おうと思ってたんだけど、兄貴が「いや、壮、俺さあ、やっぱりまた病気治してお芝居やりたいわ」って、「絶対治してまた映画とか出られるようにするわ。頑張るわ」って言ったから。俺は全部飲み込んで、「そうだな、頑張ろうよ」って言って。号泣したんだけど後ろで。これが希望なんだなと思って。兄貴が人生でやりたい本当のことは、こういう映画に出てスターになりたいんだっていうのがもうはっきり分かったんで。
(武井さん)
その時、僕は、20代はスポーツをまずは全力で頑張ろうと。30代からは無念を持って亡くなっていった兄貴の分を俺が晴らしてやろうと思って、30歳からの10年間を芸能の修業にあてて、40歳になるまでにデビューしようっていうプランをその時に考えたんです。
デビュー後に知った 兄の本当の思い
兄の夢を胸に、アスリートとして、ゴルフや野球など、テレビで話題になりやすい競技にも挑戦していった武井さん。さらに、芸能人が集まるバーに足しげく通って“トーク力”を学び、動物とのシミュレーションバトルというネタでデビュー。一躍、時の人になりました。
ブレーク後、兄が付き人をしていた坂上忍さんからあることばをかけられます。
(武井さん)
坂上忍さんと共演したときに「兄貴がお世話になりました」って言ったら、「お前の兄ちゃん、俺の付き人やってたけど、中卒だったろ?『弟が優秀だから、俺が学費とか使っちゃいけないと思って中卒にした』って話してたんだよ」って言われて、えー?って思って。俺、39歳で芸能デビューするまでそんなこと思ってもみなかったから。兄貴は逃げたって言ってたんで、それはもうショックで。
(佐々木)
子どもの時にお兄さんの思いを知れていたら…。
(武井さん)
「お互い頑張ろうぜ」って言って、なんで手をつながなかったんだろうって、いまだに思うんですよ。いまの自分が芸能界でスポーツできて、こんなキャラクターになったのは、確実に、兄貴が芸能やってて亡くなっちゃって、その思いをなんとかしたいって思いがあってのことなんで、僕だけじゃ絶対こうなってないんで。
忍さんのように、僕が出る番組、出る番組で、「情の弟でしょ?」って言われることがすごく多くて。兄貴が若い頃、面倒見てもらった人たちに出会うっていう。まだ2~3本しかドラマとか出てなかった兄貴が残してくれた足跡に僕が助けてもらったっていうのは、これは、やっぱり何かの縁というかね、もう必然だったのかもしれないなって思っています。
(佐々木)
まさに兄弟でつかみ取ったものだったんですね。
(武井さん)
それは間違いないですね。だから、1人で成功できたってわけではまったくないし。ほんと、2人分、なんとか重なって。
あの日 兄と見た海外映画の世界へ
ことしタイで映画デビューを果たした武井さん。兵士役での出演作がタイで興行収入1位を獲得するなど話題作となりました。
(武井さん)
50代は兄貴がやりたかった俳優にもうちょっとフォーカスして、海外でいろいろな映画や作品に出られるような準備をしようって決めてたので。いろんな国のいろんな作品見てみたら、なんか武井壮ちょいちょい出てくるなっていう。海外の人も「この国の作品にも出てたし、この国の作品にも出てるな」、「えっ、これにも出てるじゃん!日本ですげえ有名じゃん!」みたいな。「あの人呼んでみよう」ってなるような種をまいてる感じですね。
(佐々木)
いまの武井さんの姿って、お兄さんはどういうふうにご覧になってると思いますか?
(武井さん)
「すげえな」って言ってるんじゃないですか。「すげえな、お前すげえな」って言ってると思いますよ。どうなんですかね。うらやましがってるかもしれないですね、「いいな」って。
(佐々木)
武井さんにとってのこれからの人生はどうですか?
(武井さん)
ゴール設定して、ゴールにたどりつかなきゃダメみたいな戦いはもう終わったと思ってるんですよ。兄貴の夢も半分かなえたし、僕の夢は、もうほぼ達成してるし。心から、こんな場所行きたいとか、こんな人たちと仕事したいとか、こんな人生送りたいっていう子どものような欲求でやっと時間を使えるんだなっていう。ワクワクできる自分になっていることが、もう、いま、なによりの幸せです。世界に向けて映画とか言ってるけど、それはいちばんぜいたくな目標で、それ以外のことも十分楽しめる僕がもういるので、大丈夫です。もう何があっても大丈夫。
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