「風が吹けば桶屋が儲かる」とは思いもよらないところに影響が出る様を表す成句だが、転じて当てにならないことの例えにも使われる。運転士が不足してバス路線がこのまま減り続けると最終的にどうなってしまうのか? 桶屋が儲かるように思いがけない影響が出る大胆予測。
文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
(写真はすべてイメージで本文とは関係ありません)
■バスはラストワンマイルな交通機関
特に路線バスは、駅や港、空港等の大規模な輸送機関の拠点からの二次交通機関であることが多い。たいていは自宅最寄りまで(から)送ってくれる最終手段だ。
その最終手段が減便や廃止で最悪なくなってしまうと、バスに乗れなくなるので歩くしかない。もちろん自転車でもいいのだが、とにかく駅までは自力だ。
数キロの距離であればそれも可能だろう。交通を自家用車に完全に切り替えてしまうことはすでに地方では起こっている。こうなると一次交通も使わなくなるので鉄道に多少の影響は出る。しかしまだ誤差の範囲だ。
こどもや高齢の通学や通院の足は自家用車というわけにはいかない。自転車でも厳しい距離の場所に住んでいると、通学ならば保護者の自家用車で駅まで送迎する。高齢者の通院であればタクシーを利用する等の代替手段が考えられる。
■住宅地はそもそも不便な場所を切り開いた?
駅の周辺にある、あるいは幹線道路沿いにある住宅地は昔から人が住んでいたので交通機関に困ることはない。もっとも鉄道が廃止されてしまえばそれまでだが、それはまた過疎化という別の問題だ。
そうでない宅地は後世になって切り開いて造成したところだ。都市部ならニュータウンと呼ばれたことが多かったのではないだろうか。そのような宅地は不動産会社や鉄道会社が造成して宅地として売り出す。
鉄道会社が自社線沿線で開発する場合は、たいていの場合、自社系列のバス路線を引く。駅までの輸送と都心部までの輸送を自社グループで引き受けるためだ。
■桶屋が儲かる方式の仮定の話
これらのラストワンマイル交通機関がなくなると、そもそもそこに住む意味がなくなってしまう。鉄道会社が造成したニューナウンならば責任があるので路線廃止にはならないだろうが、そうでない場合はバスがあるから住んでいるという理由もあるはずなのだ。
そのバスがなくなれば、もはや動けなくなり自転車利用や自家用車シフトができなければ宿替えを考えなければならなくなる。そんな不便な場所に、これから住もうという人が出るだろうか。みんなが駅周辺に集中し郊外には誰もいなくなるという現象が起きるかもしれない。
■まさかの地価下落?
そして結論だが、地価が下がることになるのではないだろうか。バスがなくなった郊外には子育て世代や自家用車の選択肢がなくなった高齢者は住めないのだ。そうなれば一時的に車がある年齢層が住むにはいいのかもしれないが、そんな不便な土地の値段は下がるかもしれない。反対に駅周辺の地価は高騰するかもしれない。
こうしてバスの有無で地価が下落し始めると、路線価をもとに算定する固定資産税や相続税の税収が下がるとまで考えるのは飛躍し過ぎだろうか。
税収が下がれば自治体が担う住民サービスも低下するので、バスという足がないことによる不便さから、まわりまわって住民サービスが低下した住みにくいところという結論にはなりはしないだろうか。
■一度経験すれば代を重ねて学習する
仮に前述のようなことが起これば、もう二度と郊外には住まなくなるだろうが、子や孫の世代でも代を重ねて学習したことは守られる。家訓とまではいわないが、「駅周辺以外には住むな!」みたいな言い伝えが残ってしまえば取り返しのつかないことになるのかもしれない。
近代日本では産業が勃興し、便利になることはあっても不便になることはなかった。過疎化した地域では人口減少により似たようなことはあったが、全国的にそれも今頃になって不便になろうとはだれも思わなかっただろう。
本稿で述べたことは飛躍し過ぎたそれこそ「桶屋が儲かる」方式の仮定なのかしれないが、そうならないように早めに手を打っておかないと、「気が付いたら…」ということになりかねない。昔のように運転士が夢の仕事になりますように……。
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