長く生きていると、バスひとつをとってもさまざまな思いがある。今回は約50年前に旅した北海道の路線バスを披露しよう。もちろんバスで旅したのではなく、鉄道で旅したのだが、最終的には観光地へ行くため路線バスを多く利用した。1970年代の話である。
(記事の内容は、2023年11月現在のものです)
執筆・写真/谷川一巳
※2023年11月発売《バスマガジンvol.122》『バスにまつわる愉快だけどマジな話』より
■航空機なんて別次元の乗り物。上野発の夜行列車に乗って……
当時は国鉄の北海道ワイド周遊券を利用し、上野発の夜行列車と青函連絡船を乗り継いで北海道入りするのが定番ルートだった。宿泊はユースホステルを使った格安旅行だ。さらにいえば当時は道内を多くの夜行列車が走っていて、それを宿代わりにした。空を飛ぶなどというのは考えもつかなかった時代だ。
しかし国鉄だけでは観光地へは行けないので、当然路線バスの出番となる。多くの路線バスのお世話になった。巷では山本コータローの「岬めぐり」、森進一の「襟裳岬」がヒットし、それらの曲のイメージで若者は旅をしたのである。
ちなみに現在の北海道は過疎化が激しく、炭鉱は閉山、林業は衰退、国鉄路線だった鉄道は多くが廃線になり、鉄道の代替バスだった路線もあまり運行しておらず、路線バスも最低限しかない。
公共交通での旅はできなくなったといっても過言ではなく、レンタカーが必須である。加えて熊だ鹿だと野生動物だらけで旅どころではないという状況なのが悲しい。
■機転の利く運転手さんに助けられ道東は阿寒バスで湖巡り
道東の湖は阿寒バスで巡った。阿寒湖では毬藻を見て、残念ながら摩周湖は布施明の歌う通り「霧の摩周湖」で何も見えなかった。
この分だと屈斜路湖も見えないかなと思ったが、機転の利く阿寒バスの運転手さんが「屈斜路湖展望台まで行っても何も見えませんので、この辺りでバスを停めますね」といって、展望台より低い場所で休憩となった。運転手さんの言う通り、正規の展望台バス停は霧に包まれていた。こんなことができたいい時代である。
■鉄道の周遊券で乗り放題の国鉄バス。北海道の広さを知る
古い写真を見て感じるのは、車両前面に「ワンマン」と書かれた車両が多いことで、そういえば、多客時だったからかもしれないが車掌乗務の路線も多かった。
お得に感じたのが襟裳岬への路線である。襟裳岬へは国鉄バスが運行していたので、国鉄の北海道周遊券で乗り放題だったからだ。苫小牧から国鉄日高本線、国鉄バスと乗り継いで襟裳岬へ、さらに国鉄バス、国鉄広尾線と乗り継いで帯広まで1日がかりの行程となる。まさに北海道の広さを実感できた。
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