SUVブームが長らく続く昨今の自動車市場。しかし、過去を振り返るとそれ以外のカテゴリーにおいても大きなうねりがあったことは周知のとおり。そこで、ここでは各カテゴリーでブームの発端になったクルマを紹介する。
文/FK、写真/スバル、日産、三菱、FavCars.com
■復活に期待! RVブームの追い風にのった“陸の王者”こと「三菱・パジェロ」
2019年に販売不振などの理由から国内向けの生産が終了したパジェロ。
しかし、1980年代後半に火が付いたRVブームではハイラックスサーフやテラノとともにブームをけん引した1台だったことは間違いなく、近い将来に復活するのではないか? との情報も錯綜するほど、いまなお高い人気を誇る。
パジェロのデビューは1982年5月。翌1983年3月には5ナンバー車を、7月にはロングボディ車を、1985年にはAT車を追加するなど、矢継ぎ早にラインナップを拡充していった。
1988年9月にもV6ガソリンエンジン搭載車を追加するとともに、ディーゼルターボエンジンもインタークーラーの採用で出力を向上。オフロード性能の向上と扱いやすさを両立するべく、リアサスペンションもリーフ式から3リンク式コイルに改良されている。
そんなパジェロを一躍有名にしたのは1985年のダカールラリー。この年に初めて総合優勝を飾ると、その後は12回の総合優勝を飾り、クルマ好きなら誰もが知る“陸の王者”の地位を不動のものにした。
1991年1月には2代目がデビュー。RVブームの追い風もあってビッグヒットとなった2代目だが、そのなかでもトピックとなったのは1997年10月に登場したエボリューションではないだろうか。
“15年間の集大成”として誕生したエボリューションはラリーフィールドで得た技術をフィードバックし、意のままに走らせられる優れた基本性能と走ることを楽しみながら長距離ドライブがこなせる快適性を兼ね備えた1台として人気を集めた。
その後は1999年9月に3代目が、2006年10月に4代目が登場するも冒頭で述べた理由により2019年に生産が終了。同年4月にFINAL EDITIONを700台限定で発売し、37年に及んだ長い歴史に幕を閉じた。
■流行語大賞に選ばれるほどの社会現象を巻き起こした「日産・シーマ」のバカ売れ具合
2021年12月、俳優の伊藤かずえさんが30年以上所有している初代モデルのレストア完了が発表されて話題となったシーマ。
バブル期の1988年1月にデビューするやいなや同年2月度の登録台数は5373台にものぼり、3ナンバー車(普通車)市場で首位を獲得。
受注ベースでも同年2月末時点で累計1万台を突破するなど、バブル期を象徴するセールスを記録して“シーマ現象”なる言葉も生まれ、1998年の流行語大賞にも選ばれた。
セドリック・グロリア シーマのネーミングで登場した初代モデル。そのコンセプトは“日本的な味をもった世界に通用する新しいビッグカー”で、ダイナミックな走リの躍動感と気品・優雅さ、乗る人にくつろぎを感じさせる心地良い室内、運転する喜びを感じさせる卓越した走行性能を見事に融合。
フォーマルでありながらスポーティな4ドアハードトップボディは旧来のハイソカーには見られなかった斬新なものであったが、それ以上に注目に値したのは走りを意識したメカニズムの数々だ。
例えば、エンジンは電子制御可変吸気コントロールシステム(NICS)、電子制御可変バルブタイミングコントロールシステム(NVCS)、電子配電点火システム(NDIS)を採用した3.0リッターのV6ツインカム24バルブハイフローセラミックターボエンジン(PLASMA-VG30DET)を新開発。
足回りも走行状態に応じてショックアブソーバーの減衰力・バネレート・車高を最適化して乗り心地の良さと操縦性&走行安定性の高さを両立した電子制御エアサスペンションとともに、自然な操舵安定性をもたらす車速感応式電子制御パワーステアリングなど、世界に通用する新しいビッグカーを名乗るに相応しい充実ぶりであった。
その後、5代目まで進化を果たしたシーマだったが、2022年8月をもって生産が終了。日本のハイソカーブームを確立した1台はひっそりと姿を消した。
■高級ミニバンのパイオニア「日産・エルグランド」はそろそろFMCに期待したい!
1997年のデビュー以来、日産のフラッグシップミニバンとして人気を獲得してきたエルグランド。昨今は“高級ミニバンといえばアルファード”という図式が定着しているが、高級ミニバンを開拓したのはエルグランドに他ならない。
そのコンセプトは“最高級新世代1BOX”。
圧倒的な存在感を主張するスタイリング、快適で広々としたファーストクラスの移動空間、最高級というコンセプトに恥じない優れた走行性能、クラストップレベルの高い安全性と環境への配慮など、初代エルグランドはそのすべてが斬新であった。
受注台数も発売後1カ月で5000台を超え、順調な立ち上がりをみせた。
2002年5月には2代目が、2010年8月には3代目が登場。
威風堂々たるスタイリング、特別感・最高級・最上質を実感できる室内空間、クラストップレベルの燃費性能、考え抜かれた装備と取り回しの良さなどが好評を博した3代目は発表から2週間で1900台の月販目標台数を上回る累計6386台を受注した。
そんな3代目に搭載されるエンジンは、デビュー当初から現在に至るまで3.5リッターと2.5リッターの2種類を設定。
なかでも、3.5リッター車に搭載された最高出力280ps&最大トルク35.1kgf・mを誇るV型6気筒DOHCのVQ35DE型エンジンは、専用チューニングによってクラストップレベルの出力特性と街乗りから高速走行まで胸のすくような走りを実現している。
また、2代目までは駆動方式にFRを採用していたが、3代目は最適チューニングを施した低重心の新プラットフォームを採用したFFに刷新されたこと、さらには高剛性ステアリングや高性能ショックアブソーバーなどの組み合わせにより、安定感の高いフィーリングや高い直進性も実現。
“走らせても楽しい高級ミニバン”であることも事実だが、デビューからもうすぐ14年……。“そろそろ”と噂されるフルモデルチェンジにも期待したい。
■ツーリングワゴンというカテゴリーを開拓・確立した「スバル・レガシィ」
1985年から次世代に向けた企業戦略のもとに研究実験センターの建設をはじめとする生産体制の大幅な刷新を図ったスバル。それと時を同じくしてクルマづくりを一新するプロジェクトを発足し、レガシィの先行開発はスタートした。
そして、“気持ちのよい走りができるクルマ”を目指すべくエンジン・車体をゼロベースで開発し、その後30年という長きにわたってスポーツエンジンとして活躍することになるEJ20型水平対向エンジンを搭載したレガシィが1989年2月にデビューを果たす。
当時の日本はバブル絶頂期にあり、先述のシーマをはじめとするハイソカーが圧倒的な人気を博していたが、スバルはクルマの本質である走りを追求したドライバーズカーとしてレガシィを市場に投入。
発売直前の1989年1月には19日間連続で10万kmを走り続ける世界速度記録に挑戦し、平均時速223.345km/hを達成することで性能の高さを世界に知らしめたが、そんなレガシィがブレイクする契機となったのは、同年10月に追加設定されたGTの存在があげられる。
ワゴン専用のデザインを採用したGTは200psの最高出力を発生する水平対向4気筒DOHCターボエンジンをはじめ、ビスカスLSD付センターデフ式フルタイム4WD、リアビスカスLSD、電子制御フルオートマチック(E-4AT)、4センサー4チャンネル制御方式ABSなどの充実装備で高速ツーリングワゴンというコンセプトを体現。
その当時、RVブームに沸いていたこともあって高い人気を獲得し、ステーションワゴンという新たな市場を開拓した。
現在は下火傾向にあるステーションワゴンだが、その地位を確立したレガシィは2014年10月に行われたフルモデルチェンジでツーリングワゴンが廃止に……。それまでレガシィのツーリングワゴンが担ってきた役割はレヴォーグに引き継がれた。
■ボーイズレーサーという言葉がハマる「トヨタ・スターレット」が牽引したホットハッチシーン
ホットハッチカテゴリーの先駆けとなった国産車といえば、1974年に登場した初代シビックRSを思い浮かべる人も多いだろうが、1980年代から1990年代にかけて迎えることになる全盛期において忘れてならない1台こそ、1984年10月にすべてを一新した3代目が登場したスターレット(Siリミテッド)ではないだろうか?
駆動方式をFRからFFに変更するとともに、FF化のメリットを活かして室内スペースを大きく拡大した3代目のスターレット。
外観ではスポーティさを強調したブラックとシルバーの2トーンを採用したボディカラーやフロントグリルと一体感のある異形ヘッドランプなどがトピックだったが、それ以上に注目を集めたのが“かっとび”と称された元気な走りであった。
エンジンは混合気をより効率良く吸入・圧縮・燃焼させてすみやかに排出するべく、吸気2・排気1というトヨタ初となる3バルブ式のクロスフローエンジンを採用。
最高出力は93psながら高回転型のカムシャフトやバルブを採用することで、低速から一気に7000回転付近まで吹き上がるスーパーレスポンスを達成するとともに、7.74kg/psというパワーウエイトレシオを実現。
また、エンジンのパワーを最大限に引き出す新世代サスペンションのペガサスを組み合わせることでキビキビと軽く、そして路面に吸い付くような走りも披露した。
その後、1986年1月にはインタークーラー付ターボチャージャーを備えたターボモデルが登場。過給圧を2段階に切り替えることでローモードでは91ps、標準モードでは105psを発生する2モードターボシステムなるユニークな機能も搭載されていた。
まさに“ボーイズレーサー”と呼ぶに相応しい3代目スターレットが、1980年代から1990年代にかけて全盛期を迎えたホットハッチシーンを牽引したのは間違いない。
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