2024年6月18日、トヨタ自動車の株主総会が開催された。2時間近い総会では、株主からさまざまな質問があり、ウーブン・シティについての質問もあった。社長の佐藤恒治議長からの指名で、この質問に答えたのは豊田章男会長だった。

※本稿は2024年7月のものです
文:ベストカー編集部/写真:トヨタ、長谷川智哉
初出:『ベストカー』2024年8月26日号

■豊田章男社長(当時)の東富士への思い

2020年1月のCES 2020でWoven City構想を発表した豊田章男社長(当時)

 「トヨタは東富士でウーブン・シティを建設していて、自動運転のテストコースと聞いている。ウーブン・シティではどんな取り組みが行われるのか? どのような商品化が行われるのか? 教えてほしい」。

 ウーブン・シティについては株主はもちろんだが、株主以外にも大きな関心事だ。どんな答えが返ってくるのか、注目された。

 株主総会の議長を務める佐藤恒治社長はためらうことなく豊田章男会長を指名した。

 「議長からの指名は15年ぶりのことで緊張しております」と議場を和ませたあと、豊田章男会長は「実はウーブン・シティの考え方は、かつての関東自動車工業の一人の従業員の質問から成り立ちました」と説明した。

 豊田章男会長の質問に対する答えの前に関東自動車工業について説明しておこう。

 関東自動車工業とは、現在のトヨタ自動車東日本の前身で、ウーブン・シティ着工の前はここに東富士工場があった。東富士工場は1968年に完成し、トヨタスポーツ800やマークII、センチュリーなどを生産してきた。

 2011年東日本大震災が発生し、当時の豊田章男社長は決断する。東北の復興を雇用や納税という持続的なカタチで支援したいと、2012年に関東自動車とセントラル自動車、トヨタ自動車東北が統合し、トヨタ自動車東日本が誕生したのだ。

 本社を宮城県大衡村とし、組み立て工場の主力も宮城県と岩手県に移っていった。そして関東自動車工業の拠点であった東富士工場は2020年12月に閉鎖されることが決まった。

 2018年7月トヨタ自動車東日本の東富士工場を訪れた当時の豊田章男社長の映像が残っている。閉鎖が決まった工場の従業員と直接話がしたいと考えたからだ。

 ある従業員がこんな質問をした。「東北に行って、またクルマを作りたいという気持ちはあるが、家族のことを考えると、一緒には行けない、(会社を)辞めざるをえない人も中にはいると思う。

 そういう人のことを考えると、喜んで東北には行けないという気持ちが正直あります。今後トヨタとして、この東富士をどうしようとお考えなのか、教えてほしい」。その声は震えていた。

 豊田章男社長は仲間を思う従業員たちの気持ちに心を揺さぶられながら、こう答えた。

 「これから50年の未来の自動車づくりに貢献できる聖地、自動運転などの『大実証実験・コネクティッド・シティ』に変革させていこうと考えています」。

 しかし、この構想は決まっているわけではなかった。豊田章男社長の頭の中にあったアイデアが感極まってこぼれ出たのだ。

 東富士工場の従業員たちの想いは豊田章男社長の胸にしっかりと刻まれた。

 それから数年が流れ、今回の株主総会の席で出された先の株主の質問にこう答えた。

 「ウーブン・シティは更地の上にできるのではなく、半世紀にわたり自動車産業、地域のために働いた仲間の情熱の上に建つ街だと思います。そういう意味ではクルマ屋たちの夢の跡です。

 ウーブン・シティでは未来のことを、これから未来の人たちが一緒になって、仲間とともに考え、悩み、失敗しながら挑戦し続けてほしいと思っています。私は根っからのクルマ屋ですので、クルマ屋の私を驚かせてくれるような新しいモビリティが、この街から生まれてくることを期待しています。

 ウーブン・シティという未来の投資、これは決して正解があるから進んでいるわけではなく『今の行動が未来の景色を変える』という想いで、若い人たちが中心になってやっております。そして『日本でも未来づくりができるよ』ということをトヨタは示したいんです」。

 豊田章男会長がウーブン・シティにかける想いは強い。なぜか? そこにはトヨタ自動車を作った祖父、豊田喜一郎を中心にした創業メンバーへの感謝に加え、継承者としての使命感のようなものがある。

■私財から50億円を投資! 豊田章男会長が語る「継承者としてなすべきこと」

2025年から発明家を中心に住み始め、さまざまな実証実験が行われるウーブン・シティ

 ウーブン・シティのプロジェクトを手掛けるのはトヨタの100%子会社であるウーブン・バイ・トヨタだが、豊田章男会長はその前身となるトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンス・デベロップメントに50億円を個人で出資した。

 利益相反を招くおそれから、出資した株は2023年にトヨタに買い取られたが、なぜ個人で出資したのだろうか?

 その疑問に「個人で出資したのは新しい未来には答えがないからです」と答えている。さらに「会社には組織があって、これだけ投資したら、これだけリターンがあると議論します。

 しかし、答えのない世界では、論理的なメカニズムだけでは進んでいけません。私個人はこんな世界があったらおもしろいよね、笑顔になれるよねと考え、動きます。

 豊田喜一郎は佐吉から継承した自動織機をモデルチェンジしてトヨタ自動車を作りました。私は3代目として、トヨタという会社にバリューがあるからといって、それだけに頼っていいのかと思いました。

 祖父や父が時代に合わせてモデルチェンジしてきてくれたことに対して、やはり自分にも、継承していく役割があるんだろうと思います」。

 豊田章男会長は豊田喜一郎はじめ、創業メンバーの苦労を誰よりも知っている。

 「創業当時報われなかった先輩たちに報いることができるとしたら、それは自動車からモビリティ・カンパニーへのモデルチェンジに挑戦することであり、未来の世代から『あの時のおかげで今がある』と言われることだ」とも語っている。

 ウーブン・シティではトヨタがモデルチェンジした姿の一端が見られるはずだ。

【番外コラム】GRフェスティバル上海が開催!

中国のお客様を乗せGRヤリス ラリー1でドリフトを披露したモリゾウさん

 2024年6月26日にGRフェスティバル上海が開催され、約900人のファンやメディアが参加し盛り上がった。2024年4月の北京ショーに合わせて開催されたGRヤリスのプレミア公開も大人気だったが、中国でのGRに対する期待は凄まじいばかりだ。

 モリゾウ選手、佐々木雅弘選手、勝田範彦選手のほかに中国のレーシングドライバーも参加し、中国のお客様を乗せての同乗走行やジムカーナによるタイムアタックが行われた。デモランに登場した車両もGRヤリス ラリー1やGRヤリスラリー2、D1 GR86、GRスープラGT4など超豪華。

 場内が大歓声に包まれるなか、MORIZOコールが起きていた。「世界にもっともっと笑顔を増やしていきたいです」とコメントしたモリゾウさん、次のGRフェスティバルの開催地はどこだ!?

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