松本電鉄は古くから松本市を地盤に鉄道・バスを運行してきた事業者で、現在は経営再建を経て周辺事業者と合併の上、アルピコ交通として新たなスタートを切っている。レインボーストライプをあしらったバスは首都圏でも目にする機会が多い。今回は平成前期、旧松本電鉄時代の様子を紹介しよう。

(記事の内容は、2023年9月現在のものです)
取材・執筆・撮影/石鎚 翼
※2023年9月発売《バスマガジンvol.121》『平成初期のバスを振り返る』より

■平成の幕明けからほどなくして新生「アルピコグループ」がスタート!!

いすゞ BU10K。1972~1975年に多く導入されたBU系のうち標準尺・高出力のBU10Kで、北村製車体を架装する。平成初期まで多くの車両が活躍し、一部の車両はアルピコカラーに衣替えした

 松本電鉄は、鉄道路線である上高地線のほか、松本市内に軌道線を運行していた時代もあるなど、長らく松本市内の公共交通をほぼ一手に引き受けてきた。市内路線のほか、白馬、大町、塩尻などにも拠点を持ち、松本市内から塩尻、諏訪、辰野、安曇野などに至る郊外路線も多く存在していた。

 一般路線バス用車両はいすゞ・三菱製を、観光・高速バスにはこれに加えて日野製を採用していたが、平成初期からハイブリッド車や中古車両の導入が始まると一般路線バスにも日野車が見られるようになった。

 塗装は長らく赤・青・クリームを基調としたオリジナル塗装を採用していたが、1984(昭和59)年に系列化した川中島バスや諏訪バスと共通パターンの新塗装が導入され、1990(平成2)年には「アルピコグループ」として新たなCIを導入、米国のデザイン事務所の手による現在のデザインへと移行した。

 平成初期の頃は、1972〜75(昭和47〜50)年にかつてのボンネット車やツーマン車を置き換えて大量投入されたいすゞBU系が多く残存しており、平成に入っても多くのバス窓車が使用されていた。

 加えて、走行エリアが冷涼な気候であることから1991(平成3)年までに導入された自社発注路線バス用車両は非冷房仕様であり、サービス向上のためこれらの車両の取替えが急務であったと言える。

 そのため、平成初期から近畿圏や首都圏から多くの中古車を投入し、松本市内路線を中心に次々に低床・冷房車に置き換えられていった。一方で環境保全への取り組みから上高地方面で使用されるバスにはハイブリッド車が大量に投入されるなど路線バスの陣容は大きく変化していった。

いすゞ BU04。いすゞ製一般路線車の多くを北村製車体が占める中、川重製車体で導入された車両。BU系は3種類のサイズが導入されたが、これは最も全長が短いホイールベース4.7m級の車両

 一方、1989(平成元)年に運行を開始した新宿線を皮切りに高速バス事業にも積極的に参画、名古屋、大阪へと路線網を拡大した。高速バス事業は現在に至るまでバス事業の中核と言える分野となっている。

 また、貸切バス事業では平成期終盤に東京・大阪地区にも系列会社を設立(現在は合併)して進出し、これらは高速バスの運行にも参加した。

 平成年間は、経営危機からグルーブの再編を経て大きなイメージチェンジを果たした。

 一方近年では松本市内路線の自主運行を終え、松本市による運行に移行するなど、会社のあり方やバスの陣容のみならずあらゆる面で大きな変化を生じた時代であった。ただ、鮮烈なイメージのストライプを配したバスは今日も元気に全国を走っている。

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