パジェロやハイラックスサーフが超絶ブームとなる少し前は4ドアハードトップが売れに売れた時代があった。その筆頭がカリーナEDでマツダもペルソナを投入するなど、かなり盛り上がっていた。そこに最後発として参戦したのが三菱 エメロードで、ベースのギャランの面影を感じないデキであった。1代で終ってしまったが、これかなりカッコよくない!?!?
文:小鮒康一/写真:ベストカーWeb編集部
■カリーナED驚異の大ヒット!! 続々ライバル登場でマツダも黙ってなかった!!
80年代後半から90年代中盤ごろにかけて日本で大ブームとなったのが、低い全高が特徴的な4ドアハードトップ車で、その火付け役となったのが、1985年に登場した初代カリーナEDだった。
このカリーナEDは、セリカ系のプラットフォームを流用して生まれたスポーティな4ドアモデルとなっており、4ドアでありながら居住性を犠牲にしてもスタイリッシュさを優先したピラーレスハードトップスタイルが一躍大人気となった。
その結果、1988年に登場したマツダ ペルソナ(翌年に兄弟車種としてユーノス300も登場)や1990年に登場した日産プレセアといったフォロワーを生んだだけでなく、トヨタ自身も1992年にカリーナEDよりもコンパクトなカローラセレス/スプリンターマリノをリリースしたほどだったのだ。
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■4ドアハードトップ最後発となった三菱エメロード
そんなスタイリッシュな4ドアハードトップモデルの最後発となったのが、1992年10月に登場した三菱エメロードだった。
E52Aなどの車両型式からも分かるようにベースとなっているのは7代目のギャランであり、そこに伸びやかなデザインの4ドアピラードハードトップのボディを載せたもの。
恐らく初代カリーナEDの人気が猛威を振るっていたバブル期真っただ中に開発されたであろうエメロードは、エクステリアを見る限りギャランとの共通項を見つけることは難しいほど差別化が図られており、そのデザインは当時の高度なコンピュータシミュレーションと風洞実験によってCd値0.29という数値をマークしていた。
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■2Lツインターボあれば運命変わってた!? RVブームに押されて1代で消滅に…
パワートレインもエントリーグレードの「TR」こそ1.8Lの直列4気筒エンジンとなっていたが、それ以外はすべてV6エンジンとなっており、排気量も1.8L、2.0L、2.0LのDOHCが用意されていた。
さすがにギャランに用意されていたV6 2.0Lツインターボは車両のキャラクター的にも用意されなかったが、1994年2月にはNAながらリッター100PSを達成した200PSを発生する(MT車。AT車は195PS)V6 2.0L MIVECエンジンを搭載した「スーパーツーリング-R」を設定するなど、スポーティな片鱗も見せていたのだった。
しかしすでにその頃には広いスペースユーティリティなどを持つRV車(今でいうミニバンやSUV)ブームが巻き起こっていたことで、4ドアにもかかわらず低い全高で狭い室内となる4ドアハードトップは過去のものとなっており、エメロードはブームの波に乗ることなく、ベースのギャランがフルモデルチェンジを果たした1996年夏にヒッソリと姿を消すこととなってしまった。
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