クルマのモデルチェンジサイクルは4~6年が一般的だが、なかには予想外の短命になってしまった車種もある。今回は、儚くも短い命に終わったクルマたちを紹介したい。いったい何が悪かったのか?

文/長谷川 敦、写真/トヨタ、ダイハツ、ホンダ、マツダ、三菱、FavCars.com

■販売戦略に失敗した? ふたつのモデル

トヨタ ヴェロッサ。マークIIをベースに、どことなくアルファロメオ風のマスクをまとう独特なクルマだったがセールス面では苦戦し、1代限りのモデルになった

●トヨタ ヴェロッサ(販売期間:2年8カ月)

 2001年7月に、トヨタがそれまでのクレスタ&チェイサーの後継車種としてデビューさせた4ドアセダンがヴェロッサ。

 イタリア語で「情熱」を意味する「Vero」と「赤」を指す「Rosso」をかけ合わせた車名を持つこのクルマは、「デザインも走りもエモーショナルなセダン」を目標に作られた。

 その狙いどおりエクステリアデザインは当時のトヨタらしからぬ攻めたスタイルで、プラットフォームを共用する9代目トヨタ マークIIとは異なる趣を感じさせた。

 人気の高かったチェイサーやクレスタの後を継ぐヴェロッサには大きな期待がかかったものの、マークIIのボディにイタリアンテイストのマスクは少々ミスマッチな感もあり、それは売れ行きにも影響した。

 販売成績が伸びないヴェロッサの製造販売は2004年4月に終了することになり、総生産台数も約2万4000台という残念な結果になった。

●オートザム クレフ(販売期間:約2年8カ月)

 1980年代末から1990年代前半にかけてマツダが推し進めていたのが販売店の多チャンネル化。

 そのなかのひとつ、オートザム店は当時提携していたイタリア・ランチアのクルマを販売していたのだが、同時に独自ブランドのモデルもあった。

 そんなオートザムから1992年に発売されたのが4ドアセダンのクレフだった。

 マツダ クロノスの兄弟モデルになるこのクレフは、若者向けのモデルを中心にラインナップしていたオートザムの戦略にのり、クロノスに比べるとポップな雰囲気の外観を持っていた。

 しかしこれが逆効果になり、アダルトに対してはやや若すぎ、若者にとっては少々手を出しずらい価格帯のクルマとなってしまった。

 結果としてクレフの販売成績はまったく伸びず、販売初年の1992年で約2100台と低迷し、さらに3年目の1994年には約1100台にまで落ち込んだ。

 そうした事情もあってクレフの生産は1994年12月に打ち切りになった。

 兄弟車のクロノスもセールスに苦戦して、その他の要因も合わせてマツダはあわや倒産の危機に陥ってしまった。

 これがいわゆる「クロノスの悲劇」で、クレフもそこに含まれる不名誉な記録を残している。

■日本の道路状況にマッチせず

●ホンダ MDX(販売期間:3年)

 2001年、ホンダが北米で展開するブランドのアキュラから新型SUVのMDXがリリースされた。

 MDXのベースは北米仕様のオデッセイ(日本国内ではラグレイト名で販売)だったが、ベース車両からは大幅な変更が施され、独自の装備も多数あった。

 その初代MDXが、2003年から日本でも販売されることになった。

 日本での販売にあたり右ハンドル化や細部の仕様変更も行われたが、基本は北米モデルと同じで、これが日本には適していなかった。

 全幅1955mm、全幅4790mmのアメリカンなサイズは日本の道路&住宅事情には大きすぎ、それがモロに販売成績に影響した。

 最終的に2006年には日本国内での販売が終了するのだが、2003年からの3年間でのセールスはわずか1500台にとどまった。

 MDXの日本国内販売は成功できなかったものの、アメリカでは好調であり、現在では4代目のアキュラ MDXが北米で販売されている。

●スズキ X-90(販売期間:約3年)

 まずは世界各地のモーターショーでコンセプトカーが発表され、一定の手応えを得た後に市販に移されたのがスズキ製クロスオーバーSUVのX-90。

 1995年10月に販売が開始されたX-90は2シーター+3ドアのモデルだが、ベースが初代エスクードであるため、フレームは本格SUVと同じラダータイプだったのが特徴。

 X-90という車名は開発コードそのものが採用され、他にはない2シーターのクロスオーバーSUVということで注目を集めた。

 とはいえ、かなりのボリュームを持つSUVでありながら2人乗りというのは使い勝手が悪く、メイン市場の北米はともかく日本での評判はイマイチ。

 セールスも低迷してしまい、1998年までの販売台数はわずか1300台にとどまった。

 これが決定打になり、スズキはX-90の国内販売をこの年いっぱいをもって終了した。

■どんな層に売りたいのか不明だった2台

20世紀最後の年に登場した三菱 プラウディア。三菱の最高級4ドアセダンに位置づけられた高級車だったが販売は不振で、街中で見かける機会は少なかった

●三菱 初代プラウディア(販売期間:約1年)

 ベテランの読者なら、三菱のデボネアというクルマを覚えている人も多いはず。

 1964~1986年の22年に渡って販売された初代デボネアは、三菱が誇る超ロングセラーの4ドアセダンだった。

 そのデボネアと対極的な運命を辿ったのが、同じ三菱から2000年2月に発売されたプラウディアだ。

 しばらく空白の期間はあるものの、デボネアの後継車種にあたるプラウディアは、韓国のヒュンダイ(現在はヒョンデ)と共同開発した高級4ドアセダンであり、トヨタのクラウンや日産 シーマがライバルになった。

 エンジンは4.5リッターV8と3.5リッターV6の2タイプが用意され、駆動はFFのみという、大柄な4ドアセダンにしては珍しい構成が採用された。

 プラウディアの兄弟車にあたるディグニティは皇族の公用車に使われるなどで話題になったが、強力なライバルのいるプラウディアは販売不振で、三菱の重役専用車とまでいわれる始末。

 そんな初代プラウディアは1年という短い命を終えることになるが、2012年には日産 シーマ/フーガのOEM車で復活している。

●ダイハツ ソニカ(販売期間:3年)

 軽自動車は、その性質上実用性を重視したモデルが多いが、ここで紹介するソニカは、軽でありながらスペシャルティカーのコンセプトを盛り込むという少々毛色の変わったクルマだった。

 ダイハツ ソニカの登場は2006年、比較的高めの車高を持つモデルが多い軽自動車のなかにあって、1470mmというローハイトフォルムが注目された。

 内容も豪華であり、3グレードの全モデルに660ccターボエンジンが搭載され、ミッションはCVT、駆動方式はFFと4WDをラインナップしていた。

 シートも従来の軽自動車のイメージを覆す上質なものを採用するなど、すべてにおいてスペシャルティ感を持ったソニカは、マスコミからも高い評価を得ていた。

 だが、マーケットが軽自動車に求めていたものはそれではなかった。

 メーカーの狙いとは裏腹にソニカのセールスは伸びず、2009年には製造販売が打ち切られてしまう。

 「音速のように速い」という意味の車名を持つソニカだが、皮肉なことに市場から音速でフェードアウトしていった。

 今回は図らずも短命に終わったクルマを紹介したが、早期に退場した原因がクルマそのものにあるのではないことも多い。

 だからこそ、たまにはこうしてそのクルマのことを振り返ってみるのがせめても供養になるのかもしれない。

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