「乗合さん」……高齢の乗客の中にはそう呼ぶ人が多いという。「岐阜バス」でなく親しみを込めた「乗合さん」という呼びかけに、社名への愛着を新たに意識する社員もいるという。

 「乗合自動車」という言葉は利用者にとっては非常にわかりやすい言葉で、創業時に付けられた言葉を今でも社名に残している岐阜乗合自動車の歴史を見に行った。

(記事の内容は、2021年1月現在のものです)
執筆・写真(特記以外)/諸井 泉
取材協力/岐阜乗合自動車株式会社
参考文献/30年のあゆみ ぎふ財界人列伝 思い載せて人々の暮らしへ
※2021年1月発売《バスマガジンvol.105》『あのころのバスに会いに行く』より

■現在は3社を残すのみとなった「乗合自動車」という社名に込められた思いをたどる

JR岐阜駅バスターミナルを出発する現在の岐阜バス

 「乗合自動車」とは一定の運賃により、不特定の乗客を乗せ、決まった路線を走行する大型のバスやタクシーの意味だが、昭和30年代はバス協会加盟の12社が「乗合自動車」が付く社名であった。

 しかし統合や再編によって、現在では「乗合自動車」を社名に残しているのは岐阜乗合自動車のほか、濃飛乗合自動車と会津乗合自動車の3社だけとなった。今回は「乗合自動車」というキーワードから岐阜乗合自動車の歴史を訪ねる。

 昭和初期の日本の交通機関にはバス事業者が乱立していたが、当時の日本は日中戦争に突入し戦時輸送体制が図られ、ガソリン統制と鉄道・バス会社の整理統合の政策的推進を図る陸上交通事業調整法が施行され、自動車運送事業の統合が一気に加速していった。

 岐阜県下においては中濃地区、飛騨地区、東濃地区、西濃地区の4ブロックに分けられ、統合主体と統合形式が決められた。岐阜市を中心とした中濃地区の統合は全国に先駆けてその準備が進められた。

 中濃地区では岐阜乗合自動車が新設され、名古屋鉄道・美濃自動車・東美鉄道・武儀自動車・根尾自動車・ヤワタ自動車商会・古池自動車・牧谷バス・神淵自動車・岐阜自動車・岐垣鉄道組合・愛知証券保有の11業者・1組合によって設立されている。

 名古屋鉄道は新会社設立の中核であったことから、設立時には名古屋鉄道グループの一員としての骨子が構築されたことになる。統合した主な各社の沿革の概要は次の通り。

1.名古屋鉄道:当時は名岐鉄道と呼ばれ、岐阜市で1932年7月に乗合自動車運送事業の営業を開始した。開業当時の路線は岐阜駅前から関町(現在の関市)及び美濃町(現在の美濃市)であった。同年10月には市内バスも運行を開始している。

2.東美鉄道:発足は1926年9月、可児郡御嵩駅前でバスとタクシーを併営していた。

3.武儀自動車:1930年、上之保自動車に美濃電気軌道が資本参加し、社名を武儀自動車と改め営業所を現在の新関駅前に移転して路線を開設した。

4.美濃自動車:武儀郡北西地域で営業していた山県自動車を美濃電気軌道が買収し、美濃自動車として美濃電気軌道傘下となった。

5.根尾自動車:本巣郡根尾村の有力者らが設立した各事業者を統合して根尾自動車が設立され、その後金華自動車と合併、さらに安全バスを買収している。

6.古池自動車:1922年、郡上八幡~奥明方で営業を開始。1941年1月に渡辺自動車を買収して乗合営業を拡張した。

7.岐阜自動車:1932年頃からバス事業に乗り出していた竹鼻電鉄が、当時西南濃地方に散在していた自動車事業を逐次買収、「竹鼻バス」として同地方のバス事業を一本化し、1936年に墨俣自動車、1939年には岐阜自動車運輸を買収するとともに竹鼻電鉄傘下のバス部門を独立させ新たに岐阜自動車とした。

 岐阜市総合交通協議会発行の岐阜市と周辺部のバス・鉄道概要図のバス路線図には、このような統合の歴史が刻まれているが、地図上の中心となるJR岐阜北口バスターミナルと名鉄岐阜(新岐阜)バスターミナルには、数多くの路線が記載されている。

 この2つのバスターミナルが岐阜市の交通の要となっているが、名鉄岐阜バスターミナルに隣接する場所にはかつて岐阜乗合自動車の本社ビルがあったことから、岐阜乗合自動車発祥の地とも言えるだろう。

 今後の高齢化社会を見据えると、路線バスなど地方公共交通が果たす役割はますます重要となってくる。岐阜乗合自動車は中濃地区におけるバス事業者の整理統合の歴史の中で大きく成長してきたが「乗合自動車」という社名の中に社会の大きな期待を背負ってきているように思えた。

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