2024年4月5日から3日間開催された「名古屋モーターサイクルショー」。その会場には東海地方のバイク関連企業や団体も多数エントリーしていた。そのうちの一つ、浜松市「バイクのふるさと浜松」ブースに、バイクの町・浜松らしいヒストリックなモデルが展示されていたので紹介したい。その名は丸正自動車「ライラックLS18」だ。

文/Webikeプラス

     

モトグッツィより古い「OHV縦置きVツイン」搭載の名機

 今回紹介する丸正自動車「ライラックLS18」は、ライラックシリーズの後発となる1959年発売の250ccモデル。当時は未だ大排気量モデルが少なく、250ccはフラッグシップとして扱われていた。このためLS18には当時の先端技術が詰め込まれており、ドイツ・ビクトリア社製「V35 ベルグマイスター」などの構造を参考に、初めてOHV縦置きVツインエンジンを搭載。これは縦置きVツインで有名なモトグッツィに先駆けること6年という早さのことだった。

 この縦置きVツインエンジン、最高出力は18.5HP(18.7PS)/7,500rpmを発揮、ボア×ストロークは54×54mmのスクエアタイプで、バランスのよいトルクとスピードを実現。最高速度は120km/hを記録した(当時はカタログスペックに最高速度が記載されていた!)。シフトはロータリー式の4段ミッションで、車体重量は165kg。ホイールサイズは前後17インチだった。

 

 

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 特に注目したいメカニズムは、LS18はベベルギアを介したシャフトドライブだったというところ。当時も今も、チェーンドライブはバイクの一般的な駆動形式。だが、シールチェーンが一般化し、チェーンの寿命が飛躍的に伸びた現代とは違い、当時のチェーンはこまめなメンテナンスが必須であり、未舗装路も多かった状況では、泥や砂利などにより消耗も激しかった。ところがシャフトドライブは、ほとんどメンテフリーであるのが魅力。ライラックシリーズは当初からこの点に目をつけており、全モデルがシャフトドライブであることがシリーズの大きな特徴だった。

 中でもLS18は縦置きVツインエンジンであり、駆動力を効率よく後輪へ伝達するにはシャフトドライブが最適だった。これは1965年に縦置きVツインを初採用し、現代も作り続けているモトグッツィや、後年のホンダ「GL」シリーズにも共通する要素。パワフルでメンテフリーなLS18は当時の最先端を行くモデルであり、販売価格は17万8,000円と非常に高額で(当時の大卒初任給は1万3000円、2023年の1/16)限られた人にしか手にできないマシンだったといえる。

 

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「チェーンのないオートバイ」で愛されたライラック

 日本の4大バイクメーカーのうち、ホンダ、ヤマハ、スズキの3社が静岡県浜松市をスタート地点としたことは、バイクファンならよく知っていることだろう。しかし昭和30年ごろのバイクメーカー林立期には、3社どころか30社以上のメーカーが浜松にひしめき、互いに鎬を削っていた。ライラックを販売していた「丸正自動車」もそのうちの一つだ。

 丸正自動車の創業者・伊藤正は、ホンダの本田宗一郎が設立した自動車整備会社「アート商会」出身。1938年には独立し「丸正商会」を立ち上げるものの、太平洋戦争による空襲を受け創業停止となってしまい、本田がアート商会の後に立ち上げたピストンリングメーカー「東海精機」に入社。戦後すぐの1946年に再度独立し、自動車修理販売会社として丸正商会を再興した。草創期からホンダと因縁の深い関係だったのだ。

 そんな丸正商会は戦後のバイク需要の高まりを受け、それまでの自動車修理の技術を活かし、1948年にはバイク製造に参入。1950年にはオリジナルモデル「ライラックML」を発売した。先に紹介した「ライラックLS18」も含め、ライラックシリーズはこの初代から一貫してチェーンドライブを排し、シャフトドライブのみを採用しているのが大きな特徴だ。当時の信頼性低いチェーンや、路面状況の悪さに適応したこの工夫は市場から高く評価された。性能面でも、1955年の「浅間火山レース」にホンダやヤマハを抑えて優勝を果たすなど、国内メーカーの中でもでも高い水準の技術力を示し、30車種以上のシリーズバリエーションも生まれた。

 

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 ところが1950年代の後半には、力をつけてきた大手メーカーに対して苦境に立たされてしまい、1961年に丸正自動車は倒産。ホンダの下請けとなりながらも新型モデルを開発し、アメリカ向けに輸出を試みたが、ついに1967年にすべての事業を閉鎖した。意欲的な設計や歴とした性能を持ったライラックシリーズも、急激に成長を続けるメーカー同士の競争には打ち勝てなかったのだ。しかし、そんなライラックシリーズの愛好家は現代にも多く存在。今回紹介したLS18はそんなファンの一人による、個人蔵の貴重な個体だ。

「バイクのふるさと浜松」でもっとライディングを楽しみたい!

 そんなライラックLS18を目にできたブースは、浜松市「バイクのふるさと浜松」のもの。浜松市が2003年以来開催しているバイクファンに向けたイベントだ。世界的な日本のバイクメーカーのうち、ホンダ、ヤマハ、スズキの3社が浜松をルーツとして活躍。ライダーにとって特別な町といえる浜松市にて、白バイのデモランやヒストリックモデルの展示、メーカーブースの出展など、様々な催しを楽しむことができる。

 2024年も開催は決定しており、10月に行われる予定だ。ヤマハやスズキのミュージアムなど、ライダーが楽しめる観光地も多い浜松市を訪れる絶好のチャンスといえるだろう!詳報は公式WEBページまで。

 

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バイクのふるさと浜松

https://bike-furusato.net/

 

詳細はこちらのリンクよりご覧ください。
https://news.webike.net/motorcycle/371792/

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