現行モデルの機関や構造、内外装や装備などを一新するフルモデルチェンジ。それは、販売台数を伸ばす好機である一方、販売不振のきっかけともなりうるメーカーにとっての重要局面だ。今回はクルマ好きの記憶に刻むべき、“迷フルモデルチェンジ”を振り返ろう。
文/藤井順一、写真/トヨタ、日産、マツダ
■勇み足デザインが仇となった!? 日産3代目プリメーラ(P12)
8代目「スカイライン(R32)」、5代目「シルビア(S13)」などがデビューを果たした、1980年代後半~1990年は日産車の黄金時代。
バブル時代の余韻も残るこの時代にデビューした初代「プリメーラ」(P10)も、そんな日産黄金期を象徴する前輪駆動のコンパクトな4ドアセダンだ。
最大の特徴は、欧州市場への投入を前提としたスタイリングやハンドリング、パッケージングだ。フロントのマルチリンクサスペンション化による高いハンドリング性能と高められたボディ剛性は欧州仕込みのしっかりした乗り心地や実用性の高さでユーザーから高評価を獲得した。
1995年に登場した2代目プリメーラ(P11)が、キープコンセプトだったことからも、その完成度の高さをうかがい知れる。
そして、満を持して2001年に発表された3代目プリメーラ(P12)は、よくも悪くもそれまでのコンパクトスポーツセダンのイメージを覆した。
3代目は先代までのイメージを刷新、ボディサイズも3ナンバーに拡大し、前寄りのキャビン、切り詰めたトランク、彫刻的に面を削り取ったような塊感のあるスタイリングへと大変身を遂げた。
デザインコンシャスな3代目は、国内の「グッドデザイン賞・金賞」、ドイツの「レッド・ドット・デザイン賞」など世界のデザインアワードを複数獲得するなど、デザイン面では期待通りの評価を獲得。
だが、前衛的すぎるデザインとSUVやミニバン全盛によるセダンやツーリングワゴン需要の低下の流れをもろに受けて販売台数は伸び悩み、2005年に国内での販売を終了。プリメーラの血統は途絶えることとなった。
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■出汁の文化にはなじまない!? 日産9代目ブルーバード(U13)
1991年にフルモデルチェンジした9代目「日産ブルーバード」も先代とのギャップがあまりに大きかった1台だ。
先代の「ブルーバード(U12)」といえば、最上位グレード「SSSアテーサリミテッド」が象徴的存在。
50:50の前後輪へのトルク配分を、前後の回転差が生じた場合には適切に配分調整をして駆動力を確保するという新開発フルタイム4WDシステム「ATTESA(アテーサ)」を搭載したSSSアテーサリミテッドは、まさに“技術の日産”が誇る1台だった。
そんな出来のいい先代からバトンを受けた9代目ブルーバードには、スポーティな4ドアセダンの「SSS」と4ドアハードトップでエレガントな「ARX」(アークス)という異なるスタイリングの2モデルが用意された。
これは同時期に販売し好調だったプリメーラとの差別化や北米市場への展開、バブル景気による車体拡大化路線などを見据えたためとされ、セダンのSSSをグローバルモデルに、ハードトップを国内市場向けとして作り分けた“二兎を追う”戦略だった。
とりわけ印象的だったのがセダンの尻下がりとなった独特なスタイリングで、同時期にリリースされた「日産レパード J.フェリー」にも採用。日産北米スタジオ提案による意匠だったのだが、これがとにかく不評だった……。それもあって、SSSのセダンが敬遠され、無難にまとめたARXに人気が集中。
結果として歴代最高販売台数を誇った8代目から、半分以下へと大きく販売台数を落としてしまった……。
10代目はU12に回帰したものの、時すでに遅し。2001年に生産終了。42年の歴史に幕を下ろした。
■普通って何ですか? マツダ2代目デミオ(DY型)
販売チャンネルの多様化などバブル時代の負の遺産から経営不振に陥っていたマツダが、1996年にかぎられた開発期間と予算のなかで生み出したのが初代「デミオ」(DW型)だった。
ルーフレールを擁した現在でいうところの“クロスオーバー”のコンパクトカーは“自由形ワゴン”を名乗り、趣味性や道具感を感じさせる実直なモノづくりはユーザーの心を掴み、大ヒット。
販売開始2年後の1998年には年間の登録台数が10万台を達成するなど、まさにマツダの危機を救う救世主となった。
そんな孝行息子な初代デミオは、2002年に2代目デミオ(DY型)へとバトンを受け渡すことに。2代目はエンジンからプラットフォームまで一新されたものの、全長4m未満の取り回しのよさや立体駐車場に収まる車高など、前作のコンセプトは継承。
ただし、当時のマツダといえば“Zoom-Zoom”のブランドメッセージを掲げ、走りやデザインテイストの統一化を進めていた真っ只中。フロントグリル周辺の処理など上位モデルの「アテンザ」や「アクセラ」などと共通のデザインが与えられた。
よくも悪くも普通のコンパクトカー然としていた2代目だったが、セールス面を見れば初代に続き、マツダの最量販モデルとしての地位をキープした。
だが、「ホンダフィット」や「トヨタヴィッツ」などの強力なライバルの登場により、その特異性は徐々に失われ、3代目、4代目では走行性能に重きを置いた新たなコンセプトへとシフトチェンジ。先代までのモデルほどの売れゆきには至らなかった。
2019年には世界統一の名称である「Mazda2」へと切り替わった。走りのよさや上質なデザインなど現行モデルも確かに個性的ではあるが、初代の潔い商品性が今の時代にこそ魅力的に映ってしまう……。
■これじゃない感……トヨタ4代目ソアラ
元祖“ハイソカー”初代「トヨタ・ソアラ」(Z10型)がデビューした1981年は排ガス規制により、高出力な国産車が軒並み姿を消していた時代。ソアラはそんな国産スポーツカー不遇の時代に、欧州ブランドの高級スポーツクーペに対抗すべく開発された。
最高出力170ps、最大トルク24.0kgmを達成した2.8L直列6気筒ツインカムエンジン、国産初のデジタルディスプレイメーター、タッチパネル式のオートエアコンなど、数々の先進装備を搭載。
同年7月には2Lモデルにターボ車も追加されるなど、豊富なエンジンバリエーションが用意されたことにより、高級車という顔に加え、ハイパワーな走りのいいクルマとしても認知された。
そして、好景気に沸くバブル景気真っ盛りの1986年に2代目(Z20型)はデビュー。より洗練されたスタイリングを得たソアラの勢いは増し、高価格帯でありながら1991年の販売終了までの累計新車登録台数が14万台超を記録する大ヒットモデルとなった
そんなソアラの栄光も、2001年に発表された4代目ソアラ(Z40型)で潰えてしまう。
4代目は、当時欧州などで流行の兆しがあった電動格納式のハードトップを備えた2+2のコンバーチブルクーペへと変貌。全車5速AT、4.3LのV8エンジン搭載に、本革仕様の内装などさらなるラグジュアリー路線へと舵を切った。しかし、人気は低迷。
レクサスが日本国内展開を開始する2005年、名称を海外仕様と同じ「レクサスSC」と変更され、ソアラの24年の歴史に幕をおろすこととなった。
自動車が工業製品である以上、時代にあった性能やデザインに刷新されるフルモデルチェンジは避けて通れない。モデルチェンジにより結果としてモデル寿命を縮めてしまった事例もある一方、それはメーカーのユーザーに対する真摯な姿勢ともいえる。
もしかしたら、“あのモデルチェンジはむしろ魅力的だった”と評価される時代が訪れるかもしれない。
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