英国スポーツカーは、比較的小型のライトウエイトなものが趣味のアイテムとして人気だったが、だんだんステップアップしていって最後には乗ってみたい、と多くが憧れる存在がある。それがジャガーEタイプ。英国の佳き時代の面影を残す究極の一台といってもいいかもしれない。
文、写真/いのうえ・こーいち
■早熟のジャガー、第二世代
ジャガーは戦後間もなくからヒット作を送り出していた。それは、いち早くスポーツカーを完成させ、北米市場にもたらしたことで、人気に火がついたのだ。
ジャガーXKシリーズは、まだほとんどが平凡なOHVエンジンを使っていた時に、直列6気筒DOHCエンジンを搭載し、すらりとハナの長いスマートなボディ・スタイリングのスポーツカーを比較的リーズナブルな価格で提要した。それは、XK120にはじまり、XK140、XK150と進化していった。
世の中が落ち着いて、ライヴァルたちも出はじめたことから、次なるニュウモデルが待望されるようになった。そこで登場したのがジャガーEタイプだ。それまでに、ジャガーCタイプ、Dタイプといったレーシング・モデルで人気を得ていたことから、それを引継ぐ意味も込めてEタイプと名付けられた。
先のXKシリーズと大きく異なるのは、ボディにモノコック構造を採り入れたこと。おかげて低く流れるようなボディ・スタイリングが完成した。ちょうど技術的にいろいろなことが進化していた時代に、新しい風を取入れた印象。
実際に乗り較べてみると、ぐっと低いドライヴィング・ポジションにひとつ時代が変わったことが感じられたものだ。
■生まれながらのヒット作
1961年のジュネーヴ・ショウで発表されたジャガーEタイプは、その美しいスタイリングで大きな注目を集めたが、エンジンなどは前モデルのXK150をそのまま引継いだものだった。
つまり、エンジンは3.8L、265PSに4段のギアボックスが組合わされた。ボディとともに足周りも一新され、Eタイプの魅力はパワートレイン以外のところにあることを主張したのだった。
その足周りはフロントがウィッシュボーンの独立、リアにもロワ・ウィッシュボーン+リンクを採用、インボード・タイプのディスク・ブレーキを採り入れて「全輪独立懸架、全輪ディズク・ブレーキ」という最先端のスペックを謳った。
発表当初から期待通りのヒットをみせ、英国スポーツカーの健在振りを見せつける。1964年にはエンジンの排気量をアップ、4.2Lになるが、面白いことにパワーは265PSと変らず、排気量増加分はトルクの向上に充てられた。
回転数でパワーを稼ぐスポーツカー的なエンジンから、乗りやすさを求めるニーズに応えた変更であった。
1965年秋には、メインのマーケットである米国の基準に合わせてヘッドランプ位置が変更、クルマ好きには「シリーズ1 1/2」と呼ばれたりする。
それまでのモデルは「シリーズ1(3.8)」「シリーズ1(4.2)」と呼ばれるようになった。スタイリングは「シリーズ1」の方が美しい、趣味的には「シリーズ1(4.2)」が一番、などという声が一時は聞かれた。
■最後はV12エンジンを搭載
本格的にチェンジし「シリーズ2」を名乗るのは1968年10月から。フロントグリルが拡大され、ランプ類が拡大されたり増設されたりする。
いうまでもない、米国の安全基準に合わせたもので、英国スポーツカーの持つ繊細な魅力が失せた、などと熱心なクルマ好きには評されたりした。エンジンも排出ガス規制などのために北米仕様は一気に171PSまでパワーダウンする。
それとともに、少し前からATギアボックスや2+2ボディのクーペなども登場し、アメリカ好みのスポーツカーなどと揶揄されたりもしたのだった。
なんとかスポーツカーらしさを取り戻したい、と登場させたのが1971年の「シリーズ3」だ。エンジンに「ダブル6」つまり6気筒をV形に配置してV12気筒とした5.3Lエンジンを搭載する。それとともにボディもフェンダをフレアさせるなど、スーパーカー的迫力さえ感じさせるものとなった。
ホイールベースも2+2のロング・ホイールベースが標準になり、初期のジャガーEタイプのシャープさとは別ものの、それはそれで魅力的なスタイリングを打ち出したのであった。
その裏では、英国内の自動車産業の衰退とともに、会社の合併などが繰返され、そんななかではジャガーはよくそのブランドイメージを守りつづけた、という評もあった。1975年でジャガーEタイプはフェードアウトするが、いまだ英国を代表するスポーツカーとして忘れられない存在でありつづける。
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