道行く車はクラクションで会話し、乗り合いバスの車掌は行き先を叫ぶ――。小佐野アコシヤ有紀さんによる寄稿「ガーナでケアと出合い直す 世話する・されることで作られる家族関係」(6月1日配信)は、躍動感あふれる街の描写と共に始まる。
上・中・下の3回でお届けした寄稿は、ガーナの人たちの暮らしや関係性をみずみずしく映し出しながら、ケアとはなにか、家族とはどういう存在なのかという根源的な問いへとつながっていく。
ガーナでは、ケアも家族も閉じられた固定的な世界ではない。しばしば血縁や婚姻関係を超えてつくられる「家族」は、人間関係の一つであり、変更可能なもの・流動的なものだ。
寄稿(下)「日本の『小さなガーナ』で家族関係を考える 隣り合った他者と生きる」で、そんなガーナ流の人間関係が、よりくっきりと見えてくる。長く日本で暮らすガーナ出身者が、遠く離れたガーナの家族とも毎日のようにビデオ通話し、お金や家電を送り届ける。「家族」と血のつながりがなくてもだ。フィールドワークを重ねてきた小佐野さんは問う。
「人付き合いのために、これだけ多くの時間とお金、なにより労力を費やすことができるのはなぜなのか」
親しい人のため労をいとわず、惜しみなく与え続ける生き方を実践するガーナの人たち。ケアも家族も自然に与えられるものではなく、日々耕される人間関係のみが家族になりうるかのようだ。「隣り合った他者と生きる」ためのヒントを、教えてもらった。(菅光)
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