大相撲夏場所を最後に力士を引退した元「満津田」・松田誉彦さん。故郷・長野県飯田市に戻り、家業の食堂を継ぐべく修業を始めました。29歳の若者が歩み始めた第ニの人生です。
人気の食堂 厨房に体格の良い若者が…
飯田市の食堂「満津田」。昼時は多くの客が詰めかけます。
人気メニューは、ボリュームたっぷりのカツ丼(1000円)です。
客:
「おいしいよ」
主は5代目の松田道彦さん(72)。隣で手伝うのは息子の誉彦さん(29)です。
松田誉彦さん(29):
「自分が作ったものが出て、下げられてきた時に完食されてるとうれしいし、そのために頑張ってるので楽しいです」
それにしても立派な体格。厨房が狭く感じられます。それもそのはず。
誉彦さんは引退したばかりの元力士。
飯田に戻り食堂を継ぐため修業を始めたのです。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「悔いはないですけど、相撲とれるなって気持ちで終わったけど、満津田食堂に帰ってこない方が悔いが残るなと思ってこっちへ帰ってきました」
体格見込まれ、峰崎部屋へ
「満津田」は明治20(1887)年創業の老舗食堂。
常連客の一人に大相撲・峰崎部屋の後援者がいたことが角界入りのきっかけになりました。
中学1年で身長178cm、体重80キロ。その体格を見込まれスカウトされたのです。
松田誉彦さん:
「地区のわんぱく相撲大会に体大きいから出ろよって言われて、優勝して全国大会に行かせてもらったこともあり、相撲見たりしてたので楽しそうだなと」
四股名は食堂にあやかって
本格的な相撲経験はありませんでしたが高校卒業後、峰崎部屋へ。
四股名は食堂と同じ「満津田」に。丈夫で長く続けられるようにと食堂にあやかってつけました。
2013年にデビュー 厳しい大相撲の世界
デビューは2013年の春場所。以後、厳しい相撲の世界に身を置いてきました。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「洗濯物をやって、部屋の掃除、部屋の周りの掃除、土俵の片付け、忙しいのと大変なのと覚えることがいっぱいですぐ時間が過ぎていきました。稽古は朝5時から始まって11時くらいまでなので、他の番付の人がやってる間、自分たちはトレーニングをしないといけない。汗をかいてないと怒られる部屋なので汗がひかないように四股、腕立てやりつつ先輩の相撲を見て勉強する感じだったので、その時間がきつかった」
角界では小柄な「満津田」。懐に入って技をかける相撲で、幕下五十三枚目まで上がりました。
父が病に倒れ、心境に変化
心境に変化があったのは5年ほど前から。父・道彦さんが病に倒れたのです。体調を崩しながらも厨房に立つを姿を見て引退を考えるようになりました。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「(父が)帰省するたびに体調が悪くなっていくのを見て、稽古とかやってても『自分はこんなことをしていていいだろうか』『早く帰ってあげたほうがいいのでは』という思いが稽古とか相撲取ってる中で出てきたので…」
母・真理子さん(57):
「もうひと頑張りしてみたらどうかなっていう気持ちと、本人がすっきり終われるんだったら親はもう何も言うことはないかなと」
引退を決意して五月場所へ
引退を決意して臨んだ5月の夏場所。
4日目の津軽海との一番は1分を超す熱戦に。
場内から拍手が起こる中、最後は上手投げで勝ちました。
結局、夏場所は3勝4敗で終えました。
10年余りにわたる生涯通算戦績は「230勝231敗1休場」。1つ負け越しました。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「ほぼトントンなので。相撲って勝つか負けるか2分の1。自分は生涯成績を意識したことないけど、トントンならいいかな」
故郷で始まった新たな修業
朝9時すぎ―。
飯田に戻ってからは新たな「修業」の日々。
この日は母・真理子さんと買い出しへ。
松田誉彦さん:
「勉強中だけどキャベツは千切りにするので、ギュッと詰まってたりするものとか値段を見ながら」
母・真理子さん:
「いずれやってもらうつもりでいるけど、今まだ物の良しあしとか教えてる最中なので」
店に帰ったら仕込み。頭に巻いた手ぬぐいは特別な生地で作られています。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「一番最初に入った部屋の浴衣の生地を使って手ぬぐい作った。なんかちょっと引き締まる。最初の親方は、めっちゃ怖い親方だったので見守られてる感といいますか、力借りてます」
相撲部屋で「ちゃんこ番」をしていた経験があるとは言え、プロの料理人の世界は思った以上に厳しいものでした。
元「満津田」・松田誉彦さん:
「『ちゃんこ』はだいたいこんなもんでいいだろってあるけど、(食堂では)パン粉をつけるにしても全体に均等にしないといけないとか、小麦粉はげちゃってるところがあったらお客さまにお出しできない。緊張しながらやってます」
料理の師匠は父
師匠は父・道彦さんです。
松田誉彦さん:
「(父は)自分が渡り歩いた2人の親方と言ってることも一緒だし、感覚も似てるので親方、師匠、先生みたいな感じ」
父・道彦さん:
「妥協が許せないところ、それを教えて。いい加減な仕事してたら絶対、客さん来てくれない。せっかくお客さんもついてくれているので、これを上手に渡せればいいな」
跡継ぎができたことには…
父・道彦さん:
「『僕が6代目をやる』っていうから、ありがたいことはありがたい」
午前11時半、ランチ営業開始。
この日も名物の「カツ丼」がよく出ました。
「満津田」を応援してきた常連客は…
50年以上の常連客:
「楽しい12年間、過ごさせてもらった。泣いたり、笑ったり」
20年来の常連客:
「うれしいですね、なかなか対面できなかった方がいらっしゃって。飯田の街の活性化につながるような形で残っていただいてる」
買い出し、調理、出前も
誉彦さん、岡持ちを持って近くの店に出前へ。
出前を取った客:
「待ってました」「頑張ってよ」
松田誉彦さん:
「ありがとうございます。頑張ります」
出前を取った客:
「応援してる、みんなで応援してるから」「(これからは)相撲部屋の一味違った料理が食べられるんじゃないかと楽しみにしてる。よく帰ってきてくれたなと思ってる」
地元の相撲クラブの子どもたちは…
誉彦さんの帰郷を喜んでいる子どもたちがいます。
これまでも交流があった松尾相撲クラブのメンバーです。松田さんも仕事が落ち着いたら、また顔を出すつもりです。
小学6年生:
「下半身が弱いので、下半身強化をしてもらいたい」
中学2年生:
「飯田に帰ってきてくれてうれしいなと思う。技を自分持ってないので、そんなに。技を教えてもらいたい」
松尾相撲クラブ・清水里香代表:
「気持ちの面も、技術の面も伝えてほしいし、人に対する思いやりのやさしさとか、子どもたちにいっぱい伝えてほしい」
誉彦さん「新たな食堂の味を」
土俵から厨房へ。
老舗食堂の6代目をめざす誉彦さんの第二の人生は始まったばかりです。
元「満津田」・松田誉彦さん(29):
「満津田食堂の味は決まってるので崩さないことは大事だと思うけど、自分が勉強してきた相撲部屋の味も取り入れていきたいな。それを新しい満津田食堂の味にできれば。(両親に)これから仕事が楽になったと言われるように、一つでも仕事を一日一日覚えていきたいです」
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