シーケールの種(写真右上)とアロッシュ(左下)の種の実物と、それらを実寸で再現したジュエリー

多くのジュエリーデザイナーにインスピレーションを与え続けている自然。3年前にパリに生まれたブランド、ミラ・ステラの自然との向き合い方は他者と異なりユニークだ。創設者ソフィー・ブイエ・デュマさんがフランスの北部の海に近いオート・ノルマンディー地方に相続した土地で、造園を始めた時に物語は遡る。

「ジュエリー誕生のきっかけとなったのは、自然への愛から。自然界に存在する植物の美しいフォルムをそのままゴールドに転換することで、永遠の命を与えることができると思ったことからです」。彼女は選んだ植物のフォルムのディテールもサイズも、ちょっとした動きまで忠実にジュエリーで再現している。庭が所在するのは、光の美しさを求めて印象派の画家たちがキャンバスを抱えてやってきた地域。自然に永遠の命を与える素材が優美なピンクゴールドなのは、この地特有の柔らかな光を表現する色だからだ。

野草を植えた草原にて。季節も天候も問わず、ソフィーさんは庭で過ごす時間に安らぎを得る

9年前に取り掛かった最初の試作品は、アジサイだった。その後海辺の野草のシーケールの種、亜麻のさや、膨らみを包みこみお守りのような形のアロッシュの種と、コレクションの種類は増えていった。どれも丸みのあるフォルムで優しさがあり、手にすると安らかな気持ちを与えてくれる。それぞれの植物が秘めている物語にも彼女は魅了されていて、「ジュエリーの話をするうち、自然について次々と語りたくなってしまうの」と微笑(ほほえ)む。

ミラ・ステラは2021年に生まれたブランド。アジサイのコレクションから始まった

アジサイは何千万年もの間にタネが運ばれて複数の大陸で花を咲かせ、シーケールは種子が彼方(かなた)から海を航海して英国やノルマンディーの沿岸に根を生やし、亜麻は人間の衣食住に多くを与える植物で……と目を輝かせて彼女が語れば、聞き手の心も捉えられてしまう。

オート・ノルマンディーの別荘の庭が現在の姿に近づいたのは、造り始めて6年くらい経(た)った頃だ。15年前の入手時、起伏のある3ヘクタールの庭は放置されて荒廃状態だった。著書で名前を知っていた造園家マーク・ブラウンさんが偶然近くに住んでいたことから、夫でエルメスのアーティスティック・ディレクターを務めるピエール・アレクシ・デュマさんと彼と3人で、生物多様性と野生を求めて庭を構想した。

家の各部屋の窓から絵画のように見る眺めを意識し、例えば夫妻の寝室からの景色は野菜畑と草原だ。「海と空」「夜明け」などの色をテーマにした植え込みを作り、地中海コーナーと呼ぶ太陽が照らす場所ではこの地方では育たないとされる植物を実験的に栽培している。

聞こえるのは鳥の声だけ。植物に囲まれたアトリエで、次のコレクションのための押し葉にいそしむ

長い歴史の中で多く旅をしたアジサイへの思いから、その歴史を時代順に80種で辿(たど)ろうという横長の花壇にはすでに53種が揃(そろ)った。広い庭の随所で顔を覗(のぞ)かせる素朴な野草や小さな花、珍しい色の植物には慎(つつ)ましさがあり、見かけの派手さを好まぬ作り手の品性と自然への愛が感じられるようだ。

「進化し続ける自然相手の庭仕事に終わりはありません」と語るソフィーさんが、この庭で気に入っているのはピュアでシンプルな美しさを湛(たた)えた野草の草原だ。深く根を下ろしていた雑草を引き抜く大仕事の後に、ブラウンさんと選んだ30種の野草の種を蒔(ま)き、季節の移ろいがもたらす変化に驚きと喜びを見いだしている。

彼女の自然な庭への情熱は、英国庭園を慈しんでいた母ミラベルとアマチュアのバラ栽培者だった曽祖母ステラから受け継いだという。この2人の女性に敬意を捧(ささ)げ、彼女はミラ・ステラとブランドを名付けた。「私が作っているのはジュエリーではなく小さな芸術作品だと言われたことがあります。でもデザインしているのは自然。多くをもたらしてくれる自然に私はオマージュを捧げているだけです」

自然を模倣、こう彼女は謙遜するが、その裏には植物を子細に観察し、フォルムの美しさの最高の瞬間を捉える彼女の研ぎ澄まされた感性と美意識が存在する。アロッシュを例にとれば、膨らみ具合や大きさなどが理想的な種を沢山(たくさん)の中から選び出したのだ。

パリ6区にあるブティック。日本では「アーツ&サイエンス青山」(東京・港)で販売している

過去には英国王室御用達の陶磁器ブランドでアーティスティック・ディレクションを担当し、またエルメスやポール・スミスなどのオブジェのデザインもしている彼女だが、足元に広がる自然に見いだしたのはジュエリーだった。高級銀器で有名なクリストフルの創業ファミリーに生まれたソフィーさんは、「銀細工というのは手の仕事。身体を通して伝承されていくもので、6代目の私にもそれが刻み込まれています。ジュエリーの仕事へと私を向かわせたのは頭ではなく手なのです」と。

昔から変わらぬ銀細工の手法と同様に、ジュエリーはソフィーさんが描くデッサンと植物の実物をもとに彫られたワックスの型を用いて鋳造される。ジュエリーの裏に職人を特定する番号が刻印されているのは、彼らの仕事を讃(たた)えるためだ。

ブランドを創設したことによって庭との接触は更に深まり、より注意深く観察するようになったというソフィーさん。庭で出合う美しさに感動し、植物が有する繁殖や保身のための知恵などに覚える驚きに言葉が尽きない。自然を前にした彼女の謙虚さが込められたジュエリーは、私たちが草花に向ける新たな視線を与えてくれる。

フリー・エディター 大村真理子

Mohamed Khalil撮影

[NIKKEI The STYLE 7月14日付]

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