下半身麻痺のまま日本へ帰ることに
2023年2月、スペインのオルメドで大動脈解離を再発し下半身麻痺となったロレンソ文恵さん(73)。スペインでの治療や介護に限界を感じ、日本に帰国することになったのだが、日本まで地球を半周する20時間以上の旅だ。家族だけではとても手に負えない。息子のロレンソ聖司さん(35)がたどり着いたのが日本ツアーナースセンターだった。
文恵さんは、2023年の5月にスペインにある病院を退院し、家族会議を行うために息子の聖司さんはスペインに渡った。
「3週間にわたる滞在でしたが、職場の協力もあり、現地からテレワークで業務を行いながらゆっくりと家族会議を行うことができました。日本に戻ってきた今もテレワーク中心で業務ができているため、何とか介護・子育てもできています。会社には本当に感謝しています」
文恵さんの症状は安定期に入っていたが、下半身麻痺のために介護が必要だ。スペインの公的な介護サービスは日本ほど充実してはいない。必要なサービスを受けるためには、日本円で月額数十万円の費用がかかる。老後を暮らすには負担が大きすぎた。
家族会議の結果、その年の12月に日本に帰国する方針が固まった。旅の手配をするのは聖司さんだ。
スペインから日本まで1万キロ以上の大移動
まずは、オルメドからマドリード空港まで、約150キロを移動しなければならない。
「それだけは父にお願いしました。母は車椅子なので、日本で言う介護タクシーが必須です」(聖司さん)
文恵さんの夫、ロレンソ・イエズスさんの話。
「オルメドは田舎町なので、介護タクシーを持っているような会社はありませんでした。そうこうしているうちに、隣町に一社だけ車椅子ごと乗れる大型ワゴンのタクシーを持っている会社があることがわかりました」
聖司さんは当初、日本への移送を自分自身でやるつもりだった。しかし冷静に考えると、下半身麻痺の母親を連れて、1万キロ以上の旅だ。途中で何かあったらとても対処できるものではない。
「母は下半身麻痺なので一人でトイレに行くことができません。移動中の排泄に関する不安が一番大きかったです」(聖司さん)
インターネットで検索し、聖司さんはツアーナースの存在を初めて知った。
「こんなサービスがあるのかと、驚きました」
いくつかの会社に連絡をした。一番親身になって相談に乗ってくれたのが日本ツアーナースセンターだったという。
「海外の添乗に慣れたナースをアテンドしてくれました。あと、母の病状のことについても、いろいろなアドバイスをもらえてとても心強かったですね」(聖司さん)
ただ、飛行機の手配などは聖司さんの仕事だった。2020年以降、新型コロナウイルスの関係でスペインから日本への直行便は運休中だ(2024年10月に再開見込み)。スペインから羽田まで、経由地はいくつかの候補があった。
「“もう海外に行くことは難しいから、経由するなら最後はパリの空港の雰囲気を味わいたいなぁ”と母が言うものですから、マドリードのバラハス空港からフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港まではエールフランスの便を予約しました。
そこから羽田まではJALです。これは僕のミスなんですけど、エールフランスとJALはアライアンス関係がないんです。だから、情報連携がうまくいかなくて大変でした。車椅子での乗り継ぎのこととか、機内での対応などなど、両方にいちいち問い合わせないといけなかった。もし次があるなら、同じアライアンスに加盟している航空会社だけにしようと思います(笑)」(聖司さん)
ツアーナースがいなかったら旅は実現しなかった
2023年12月某日。スペインのオルメドから埼玉県川越市までの旅がスタートした。
聖司さんの話。
「本当は僕も全行程で付き添いたかったのですが、日本に来てからの介護の準備があるのと、さすがに会社に申請しにくくて(苦笑)。でも、ベテランのツーナースがいるので、そこは任せることにしました」
イエズスさんと文恵さんは、オルメドからマドリード空港までは介護タクシーを使い、空港でツアーナースと合流。羽田空港から川越市の実家までは、聖司さんの運転する車で移動することにした。
道中、トイレで困らないように、食事と飲み物の量を減らすことを指示しようと聖司さんは考えていた。しかし、事前の打ち合わせで日本ツアーナースセンターのナースに相談すると「バルーンカテーテルを使う方法があります」と教えられた。
「尿道に管を入れて、尿を直接排出する医療器具です。これには本当に助けられました。飛行機は乾燥しているので脱水症状を起こしやすいことや、長旅であることを考えるとリラックスすることが大事なので食事もなるべく普段通り摂ってほしいと。母の身体のことを一番に考えていただけました。やっぱりツアーナースにお願いしてよかった」(聖司さん)
文恵さんは旅の様子をこう振り返る。
「私、足が動かないでしょ、だからエコノミークラス症候群が本当に心配で……。普段から足をなるべく動かしてもらうようにもしているので、お金が掛かるけどビジネスクラスを取ってもらったんですよ。ツアーナースさんは私の隣、パパ(イエズスさん)だけはエコノミーで我慢してもらうはずだったんだけど、息子がこういうときに備えてマイルを貯めていたので、直前でビジネスクラスにアップグレードすることができたのよね」
そう言って、夫婦は顔を見合わせて笑った。
現在は川越の自宅で暮らしている文恵さんとイエズスさんの夫妻(提供写真)シャルル・ド・ゴール空港での乗り換えは3時間ほどだった。街を散策する時間はなかったが、空港内で軽い食事を摂るなどし、フランスの空気を満喫した。
「地上に降りたら、まずは体調のチェックです。ツアーナースさんに血圧や体温を測ってもらったりして、異常がないかを確認してもらいました。そうした一つひとつの心遣いでとても安心して過ごすことができました」(文恵さん)
シャルル・ド・ゴール空港からはJALの飛行機だ。車椅子から座席への移動などは、日本人のパーサーも手伝ってくれた。
移り住んだスペインを捨て、日本で暮らしていく
フランスのシャルル・ド・ゴール空港から東京の羽田空港までは14時間を超える長旅だ。気になっていたトイレの問題もバルーンカテーテルのおかげで事なきを得た。
「機内食も美味しく食べられました」(文恵さん)
当初は全行程に付き添うつもりだった聖司さんは、羽田空港で両親の到着を待った。
「私は川越市の制度を利用して福祉車両をレンタルできたので、羽田空港で待機です。到着の日には日本ツアーナースセンターの事務局の方も空港まで来てくれました。初めての福祉車両でしたが、そこまでサポートしてくださったのも大変心強かった」(聖司さん)
ゲートの向こうに文恵さんの姿を確認した一同は、手を振って出迎え、いたわるように車椅子の周りに集まった。しかしまだ、旅が終わったわけではない。一行は駐車場に移動して、福祉車両に文恵さんの乗った車椅子を固定する作業に取り掛かった。
「車を借りる際に、一応のレクチャーは受けていたのですが、実際に使うのは初めてでした」(聖司さん)
不安もあったが、現場に駆けつけた日本ツアーナースセンターのスタッフが手伝ってくれたおかげで、実にスムーズに作業は完了した。
現在、文恵さんとイエズスさん夫妻は川越の自宅で暮らしている。5階建ての団地なのだが、エレベーターがない。3階にある自宅へは、スカラモービルという器具を車椅子にドッキングさせて上げ下ろししている。
「いろんな人にお世話なってます。オルメドもいい町だけど、こちらは息子たちがいるから安心して暮らせるのよね」(文恵さん)
海外に暮らし、文恵さんと同じような問題に直面している人は少なくないだろう。ツアーナースの存在は、そうした問題を解決するひとつのカギとなる。
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