現役時代は左打席から繰り出す巧打と、内外野の守備に加え捕手までこなすユーティリティープレーヤーとして日本ハム、阪神で活躍した元プロ野球選手の今成亮太さん(36)。引退後も野球解説やバラエティー番組への出演、会社経営などマルチに活動する。新しいことに挑戦し続ける姿勢の原点は、厳しかった高校生活にあるという。【聞き手・露木陽介】
プロ野球選手は「なるもの」
野球を始めたのは3歳ごろ。父がプロ野球のスカウトで、3歳上の兄も近所の少年野球チームに入っていましたから、後を追うのは必然でした。
父は阪神タイガースのスカウトで、獲得した選手が埼玉県の実家にあいさつに来ていました。今岡誠さんと福原忍さんが家に来たことは、今でもよく覚えています。
周囲よりプロの世界はずっと身近で、プロ野球選手には「なりたい」より「なるものだ」という感覚で、今思えば良い意味で勘違いをしていたと思います。
地元の浦和学院高(さいたま市)に進学したのは、当時はほぼ毎年県大会で優勝して甲子園に出ており、自分の目標を実現できると感じたからです。野球部の森士(おさむ)監督(現・副校長)と面識があったことも決め手になりました。「1年生からレギュラーになれれば、プロのスカウトの目にも留まるのではないか」などと考えていましたが、いざ入学してみると、朝から晩まで気の抜けない厳しい練習が待っていました。
「逃げ出さない」が原動力に
「好きな野球をしたい人間が歩いてグラウンドには来ないはずだ」ということで、練習前からすでに全力疾走の日々。でも、つらく、きつくてもやめたいとは思いませんでした。何のために浦学に来たのか、目標がしっかりとあったからです。
そんな高校生活で身についたのは「何が来ても逃げ出さない」ということ。自分で決めたことなのだから「何でも前向きに率先してやっていこう」となれるマインドはプロ野球を引退してからも、タレント業や会社経営など、新たな世界に挑戦する原動力になっています。
今はプロ野球選手のセカンドキャリアを開拓しようとしています。阪神OBでいえば、鳥谷敬さんや糸井嘉男さん、福留孝介さんなど選手として何億、何十億の年俸を稼いだ人には引退後も必然的に仕事はあるかと思います。ただ、あまり試合には出られなかった選手でも、勝負できるような道筋を作りたいと思っています。
今は子ども向けのスポーツアカデミーも運営しています。子どもたちに「こういうふうになりたい」と自分で決めたことに真っすぐに、受け身にならず、最後は自分で筋道を組み立てて実現できる人間になれるようにアシストしていきたいですね。
いまなり・りょうた
1987年生まれ。2005年の高校生ドラフト4巡目で日本ハムに入団。阪神へ移籍し、18年に引退するまで内外野を守れる巧打の野手として活躍した。現在は野球解説や情報番組への出演、会社経営など、活動の幅を広げている。
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