世界文化遺産への登録が決まった佐渡島の金山。悲願達成の裏には、30年近くに及び登録に向け活動してきた人々の努力があった。関係者は活動の先頭に立ってきた先人の墓前で手を合わせ、世界遺産登録を報告した。
歴史学者・田中圭一さんへ世界遺産登録を報告
世界遺産への登録が決まった翌日の7月28日、佐渡を世界遺産にする会のメンバーなどが手を合わせたのは、2018年に亡くなった歴史学者の田中圭一さんの墓だ。
佐渡市出身の田中さんは、佐渡市の高校で教師を務めたあと、筑波大学の教授となり、佐渡金銀山の研究に取り組んだ。
この記事の画像(7枚)会の前身である「世界文化遺産を考える会」を1997年に立ち上げたメンバーの一人として佐渡金山の価値を広めようと、早くから活動の最前線に立ってきた。
佐渡を世界遺産にする会の中野洸会長は「『必ずユネスコに登録させて、その報告にあがります』と葬儀の弔辞に言わせていただいて、それが実現できたということで、いま本当にホッとしている」と胸の内を語った。
世界遺産登録が実現したいま、田中さんがどんな言葉をかけているか問われた中野洸会長は「『洸ちゃん、本当によかったな』と田中さんはそう思っていると思う」と涙ぐんだ。
市職員として尽力した父へ…登録実現に涙
先人の思いをつなぐ人は他にも…。
多くの人が歓喜に沸いたパブリックビューイングの会場の事前準備に汗を流していた佐渡市世界遺産推進課の市川守さんだ。
亡くなった父親も佐渡市の職員で世界遺産登録に力を尽くしていたという。
登録決定後、街がお祭りムードに包まれる中、亡き父の意思を実現させたいと、自ら世界遺産推進課を志望した市川さん。涙をこらえることはできなかった。
世界遺産登録は、多くの先人たちの思いが成就した瞬間でもあった。
(NST新潟総合テレビ)
この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(7枚)鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。