「天ぷらまんじゅうは飯田のソウルフード」と語る原将人さん=長野県飯田市で

 「まんじゅう」と「天ぷら」。食べ物の組み合わせとしては聞き慣れないように感じるが、長野県の中・南部では、お盆やお彼岸などで親戚が集まって食事をする際には欠かせない一品だ。その時季が近づくと、スーパーの総菜コーナーにからりと揚がったまんじゅうが並んだり、自分で揚げる人のために和菓子店で天ぷら専用のまんじゅうがお目見えしたりする。  「天ぷらまんじゅうは飯田のソウルフードの一つ」と話すのは、同県飯田市の菓子店「船橋屋」6代目社長の原将人さん(42)。「揚げることで食感が変わり、満足感も増す。普通のおまんじゅうでは物足りない人に、ぜひ食べてほしい」と語る。  1903(明治36)年創業の店では、30年ほど前から、その季節になると通常より小さいまんじゅうを家庭での調理用として販売する。原さんの父で現会長の昌弘さん(76)が客から半分に切ってから揚げていると聞いたことがきっかけ。「それならば小さくしよう」と、重さにして3割ほど小さくしたという。  いつから食べられるようになったかは不明だが、仏壇に供え、硬くなったまんじゅうをおいしく食べる工夫として広まったとも。長野県のほか、福島県の会津地方や島根県大田市などでも食べられている。  遠く離れたこれらの土地をつなぐヒントは、江戸時代にあるのかもしれない。今の長野県伊那市高遠町にあった高遠藩の藩主の保科正之は、山形藩を経て、1643年に会津藩主に転封。それまで会津藩を治めていた加藤家が、現在の島根県大田市の吉永藩に移った。こうした人の動きとともに、天ぷらまんじゅうの味が伝わったのだろうか。  大田市では、紅白のまんじゅうの底を合わせて揚げ、2色のカラフルな断面が見えるように切って盛り付ける。長野とは異なり祭りの時のハレの食べ物。食がつなぐ地域の縁に思いをはせながら味わいたい。  文・写真 石川由佳理

◆味わう

 特別に船橋屋の工場で天ぷらまんじゅうを作ってもらった。水で溶いた天ぷら粉の衣にまんじゅうをくぐらせ、油へ=写真。衣が色づいてきたらできあがり。「カリふわ」の食感でこしあんと合い、次々と食べ進めたくなるおいしさだ。シソを巻いて揚げる人もいるとか。  店ではシーズン中、天ぷらまんじゅう用のまんじゅうを10個入り864円で販売する。「何十パックと積み上げても夕方には売り切れる」と原社長。シーズン外でも予約販売を受け付ける。問い合わせは、船橋屋アップルロード店=電0265(52)2784=へ。


鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。