緑豊かな伊豆諸島で、「麦こうじ」を使って造られた麦の香ばしさや、草木のような清涼感のある香りが特徴の芋や麦の焼酎「東京島酒」は、ことし3月、東京の酒としては初めて国が地域ブランドとして保護する「GI・地理的表示保護制度」に指定されました。

その魅力をPRする催しが東京・千代田区で開かれ、酒蔵の社長や販売業者などおよそ200人が集まりました。

パネルディスカッションでは、「東京島酒」を造る酒蔵の代表が「東京に島があることを知らない人も多かったと思うが、今回の指定で認知度は上がっていくと思う」と期待感を示しました。

試飲をした40代の都内の飲食店経営者は、「お湯で割って飲むことで麦こうじの香りをより感じられると思いました」と話していました。

伊豆諸島には昭和45年には15軒の酒蔵がありましたが、物流の発達でさまざまな酒が出回るようになって現在は9軒にまで減っていて、島外への販路拡大を目指して、東京都が輸送費を全額補助するなど支援を進めています。

八丈島の酒蔵の小宮山善友社長は「まずは東京本土の飲食店や酒店で扱ってもらい、今後は世界に輸出したいです」と話していました。

国税庁によりますと、東京湾から南方およそ120キロから650キロ離れた伊豆諸島では、焼酎製造の始まりは江戸時代にさかのぼります。

かつての伊豆諸島は、政治犯や思想犯とされた人の「島流し」の移送先で、高い教養を持った知識人や文化人も少なくなかったといいます。

その中の1人で1853年に八丈島に流罪となった今の鹿児島県出身の商人が、芋を主な原料とした焼酎造りの製法を島の人たちに伝授したとされ、芋の栽培が広まっていたことも偶然重なり、ほかの島に伝ぱしていったと考えられています。

また当時、伊豆諸島では土壌の性質から稲作はほとんど行われず、穀物は麦やあわが栽培され麦をこうじ原料としていたとみられ、遅くとも明治後期までには麦こうじの製法が確立し、「東京島酒」の一種である麦こうじを使った芋焼酎が誕生したとされています。

その後、焼酎の主な原料は、島内で生産された芋から輸送に優れた麦へと切り替わり、麦こうじを使った麦焼酎なども誕生しました。

「東京島酒」は、焼酎造りの技術が伝わってから大半が島内で消費されていた平成中期までの150年間にわたり、伊豆諸島の料理や島民の営みと強く結びついて造り継がれてきたということです。

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