若桜鉄道が保存しているC12-167号機=鳥取県若桜町若桜の若桜鉄道若桜駅で2024年8月16日午後3時5分、山田泰正撮影
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 鳥取県東部を走る若桜鉄道(本社・同県若桜町)は、1938(昭和13)年に製造された蒸気機関車「C12-167号機」を動かせる状態で保存している。実は車体だけなく、整備作業の内容や所属機関区などを詳細に記録した「履歴簿」も社内で大切に保管されている。戦前、戦後の混乱期を走り続けた軌跡が記された貴重な文書だ。

長く所在不明だった167号機の履歴簿

 同社のC12-167号機は、日本各地のローカル線で活躍した。2007年に最初に運行された鳥取県に“里帰り”し、若桜駅構内で保存されている。

新製配置から廃車までの所属機関区の変遷を記した「移動」のページ=鳥取県若桜町若桜の若桜鉄道本社で2024年4月10日午前11時1分、山田泰正撮影
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 履歴簿は、旧国鉄の機関車検査規程で作成が定められていた。形式、寸法、重量に加え、故障、修繕改造の履歴なども記録されており、機関車ごとの整備台帳のようなものだ。

 若桜鉄道には167号機の履歴簿が2冊保管されている。戦前に記載が始まった1冊目の背表紙には「鐵道省」、戦後の2冊目には「日本国有鉄道」という刻印がある。1冊目の「形式寸法及び重量」の項目には、製造者は日本車輌、車体の長さ11350ミリ、幅2986ミリ、高さ3900ミリと記載されている。石炭や水の搭載量、心臓部である火室の面積などあらゆる数値が記録され、性能を示す最大指示馬力は521馬力。幹線用の機関車D51が1500馬力ほどなので、そのおよそ3分の1だ。

 インクで丁寧に書き込まれた文字を追っていくと、運転を終えるまでの歴史も読み取れる。167号機は1938年3月24日に大阪鉄道管理局機関車課で登記され、3月26日に米子機関区に新製配置された。終戦翌年の46年11月には加古川機関区(兵庫県)へ。その後は長く、旧国鉄の加古川線や播但線などで活躍した。

運転を終えた1974年の時点で149万キロを走行したことがわかる=鳥取県若桜町若桜の若桜鉄道本社で2024年2月19日午前11時43分、山田泰正撮影
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 72年4月には奈良運転所へ配置替えとなり、入れ替え作業などに従事したようだ。翌年11月には最後の活躍の場となる吉松機関区(鹿児島県)へ移り、SLの運用終了で74年6月12日に廃車となった。履歴簿には、同年2月までにおよそ地球37周分に相当する149万キロを走ったと記録してある。

 機関車の履歴簿は散逸していることが多く、機関車と履歴簿がそろって保存されているのは珍しい。実は167号機の履歴簿も、74年に運転を終えてから長く所在不明になっていた。見つかったのは16年前。それも意外な場所だった。

廃車から34年、履歴簿が見つかった意外な場所

 2008年11月、若桜鉄道(本社・鳥取県若桜町)の車両係長、谷口剛史さん(49)は、同社が保有するディーゼルカーのエンジンの定期検査のために北九州市にいた。

 「おもしろい鉄道グッズや資料を扱っている」と委託先の車両整備会社の社員から教えてもらった小倉駅前の書店に足を運んだ。何気なく棚を眺めていると、「履歴簿」と記された背表紙に「C12 167」と手書きされた古びた2冊が並んでいるのを見つけた。

若桜鉄道で保存されているC12-167号機の履歴簿=鳥取県若桜町若桜の若桜鉄道本社で2024年2月19日午後0時0分、山田泰正撮影
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 谷口さんは、蒸気機関車「C12―167号機」の履歴簿ではないかと直感した。1938年に製造されて、鳥取県を皮切りに関西や九州などのローカル線で活躍し、74年に運転を終えた車体だ。

 この前年の2007年、車体は鳥取県に“里帰り”して若桜鉄道で保管されていた。谷口さんは会社から「再び走るようにせよ」と指示を受け、ちょうど整備に取り組んでいたところだった。履歴簿は機関車の整備台帳のようなもの。しかし、運転が終了してから30年以上、行方不明になっていた。

 「履歴簿なんてあるわけない」。谷口さんは、いったん棚の前を通り過ぎた。しかし、やはり気になってその場で会社に電話して機番などを確認すると、目の前の棚にある2冊は、167号機の履歴簿であることが分かった。

 電話口の上司から、すぐに購入して持ち帰るように指示された。値札には2冊で8万5000円と記されている。「そんな持ち合わせはないから、慌てました」。履歴簿は会社に郵送してもらい、後日、振り込みで支払った。

 なぜ167号機の履歴簿が北九州市の書店にあったのだろうか。167号機が1974年に廃車になったときは、吉松機関区(鹿児島県)に所属していた。谷口さんは、履歴簿はその際に処分されたとみている。「捨てるのはしのびないと思った関係者が持ち帰ったものが、市中に流れたのではないでしょうか」

劣化する履歴簿、保存が課題

履歴簿の保存や活用について話し合う車両係長の谷口剛史さん(左)と矢部雅彦専務=鳥取県若桜町若桜の若桜鉄道本社で2024年2月16日午後3時31分、山田泰正撮影
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 履歴簿の発見は、167号機の整備作業に没頭していた谷口さんにとって、大きな収穫だった。過去の整備記録が小さな文字でびっしりと書き込まれている。特に機関車の心臓部ともいえるボイラーの修繕記録が残っていることが大きかった。ボイラーは高温高圧の状態で稼働するため、定期的な点検、補修が欠かせない。履歴簿を見たボイラー会社の技術者が「これなら復元は可能」と言ってくれたという。

 気になるのは履歴簿の劣化だ。全体に茶色く変色し、めくるだけで紙がぼろぼろと崩れるページもある。若桜鉄道には駅舎や転車台など歴史的な建造物が多数あり、国の登録有形文化財に登録されている。履歴簿について、同社の矢部雅彦専務は「歴史的建造物などと同じように、鳥取の鉄道史を物語る文化財級の資料だと思う。散逸を防ぎ、後世に伝えるためにも、専門家の意見も聞いて保存の対策を考えたい」と話している。【山田泰正】

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