平和を祈る音色です。長野県上田市出身のコカリナ奏者・黒坂黒太郎さん。今年で音楽活動50周年を迎えました。平和や復興を訴えながら活動してきた黒坂さんの思いは、コカリナの音色と共に少しずつ広がっています。

【演奏】♪チャルダッシュ

軽やかに響くコカリナの音色。演奏するのは上田市出身の黒坂黒太郎さん(75)です。能登半島地震の復興支援と音楽活動50周年を記念した全国ツアーを開催中で、先日、出身地・上田市でも演奏しました。

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「被災地を支援したり、平和のことをやってきたから、そういったことも織り交ぜて、能登半島地震の(被災者の)皆さんにも支援できればと思って計画した」

「コカリナ」はハンガリーの木製の笛に触発されて黒坂さんが生み出した笛。構造がオカリナに似ていることからその名がつきました。

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「普通の笛とちょっと違う、音がけっこう、こもるんですね。こもった分、柔らかい音になるんで、聴きやすい」

県内で知られるようになったのは長野オリンピックの少し前から。黒坂さんが五輪道路の建設で伐採された木でコカリナを作り、山ノ内町の子どもたちにプレゼントしたのが始まりです。

以降、コカリナは環境や平和を考える、いわば「教材」としてその音色と共に各地に広がっていきました。

次の五輪開催地・ソルトレークでも作られ演奏されました。

戦没画学生の作品を展示する無言館での成人式。黒坂さんは平和への願いをコカリナに託す演奏活動にも力を入れてきました。

被災地支援も。東日本大震災で校舎が全焼した宮城県石巻市の小学校の焼け残ったアカマツでコカリナを作り、追悼コンサートを開きました。

黒坂黒太郎さん:
「とてもしんどい所にいる人たちは言葉で助けられなくても、音楽で助けられる。それは東北の震災や神戸の震災、そういうところでも体験してきているので。あの感触は、ずっと僕の支えになっています」

黒坂さんと同じようにコカリナの音色に平和を願う青年がいます。千曲市出身の坂本龍太朗さんです。

千曲市出身・坂本龍太朗さん:
「目に見えないけど、会えないけど、そこに人がいる。そこに目を向けていくことが一番大事」

坂本さんは小学生だった長野オリンピックの頃、コカリナに出会い黒坂さんとも親交がありました。その後、坂本さんはポーランドへ。隣国・ウクライナがロシアの侵攻に遭うと物資を送り、避難民の支援に当たってきました。

2022年、黒坂さんはコカリナ仲間たちと坂本さんへの支援を呼びかける演奏会を開催。2023年は、来日した坂本さんとウクライナの4姉妹もステージに立つコンサートを開催しウクライナへの支援を呼びかけました。

9月16日―。

故郷・上田市でのコンサート。多くの観客が詰めかけました。

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「ふるさとの皆さんに聴いてもらえるのは感無量です。50年やってきた、いろんなことがあるけど、それを皆さんに投げ出して、聴いてもらいたい」

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「最初に、戦争が続くウクライナの曲を聴いてください」

【演奏】♪「おかえり春」

会場には約1200人の観客―。

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「ずっと大切にしているコカリナ、焼けている木です、広島から来ました。『被爆樹』です。原爆で焼かれた木、真っ黒に焼けた木が届きました。これはいくらなんでも(コカリナを作るのは)無理だと。(作ってみると)信じられないような音が飛び出してきました。木には魂が住んでいるというのは本当だろうと思ってしまいました」

【演奏】♪アメージング・ピース

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「今まだ、ガザもウクライナも戦争が続いています。なんとしても子どもたちを守りたい、みんなで力を合わせましょう。ありがとうございました」

観客はー。

市内から:
「みんなの心に響く歌がいいと思う」

宮城県から:
「子どもたちに戦争に行ってほしくないと掲げながら、子どもたちに教育をしていたので、そういうことが大事だと」

コカリナを広めて25年余り。
その音色に平和への願いを託す黒坂さんの活動はこれからも続きます。

コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん:
「(一番の願いは)平和な世の中をつくっていくってことですね。戦争って何もいいものを生まないのに、なぜそうなるか。もっとみんな関心を寄せていかなきゃいけない。言葉を越えて音楽や歌を歌うことによって、気持ちが融和的になる。そこへ僕の音楽が少しでも役立つなら、ありがたい」

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