冨永さん(中央)は洋服選びに迷う女性たちに「着ることの楽しさ」を伝えている(撮影:池田博美、出所:『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』)20代のころ、スタイリストとして活動していた冨永彩心さんは、結婚・出産を経て35歳から専業主婦に。48歳で再びファッションの仕事を再開しましたが、思春期の子どもの子育て、義母の介護、離婚などめまぐるしい日々を過ごし、自分の時間がほぼ“ゼロ”だったそうです。しかしその後は独立。57歳になった現在はインスタグラムのフォロワーが4.2万人。ブランディングスタイリストとして、ショッピングに同行して洋服を提案する仕事や、スタイリスト養成講座の運営などをしています。57歳で初めて出した書籍『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』では、「好きな服だけを着て生きると決めたら、人生がキラキラ輝きはじめた!」と語っている冨永さん。本記事ではその言葉の背景にある、これまでを振り返ります。

育児を優先し大好きな仕事をあきらめた過去

「子供をおいて仕事をするなんて」

義母の何気ない言葉が心に澱(おり)のように溜まり、仕事を辞めたのが30代前半。

それまではスタイリストをしていました。結婚したのが31歳、その後すぐ妊娠し、娘を出産。

私自身は仕事を辞めるつもりはなかったので、娘を幼稚園に通わせ、近くに住む義母にときどき送迎をお願いしていました。

でも仕事が終わったあと義母の家にいる娘を迎えに行くたびに「〇〇ちゃん、ママがいなくて寂しかったわね」と。

義母に悪意はないことはわかっていたのですが、いつのまにか負担になってきて

ついには仕事を辞め、その後の30代40代はパート務めなどをこなしながら、ごく普通の主婦として過ごしてきました。

ファッションの仕事から距離を置いていた時期は、育児や介護が中心でおしゃれどころではありませんでした。

冨永さんのファッションの変遷(左・中央/冨永さん提供、右/撮影:池田博美 『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』より)

写真を見てもらえれば一目瞭然でしょう。上の写真、3枚とも私です(左から2つは40代、右は現在57歳の私)。

近所に住んでいた義母は脚が悪く、義父がずっと面倒を見ていたのですが、ある年にその義父が先立ちました。残された義母をひとりにするわけにはいかず、同居することになりました。

結局義母が亡くなるまで7年半ぐらい自宅で介護をしたのですが、最後の2~3年は自力でお手洗いにも行けないほど脚が悪くなってしまいました。

ヘルパーさんにお願いすることもありましたが、私もパートで仕事をしながら、毎朝5時に起きて、朝昼夜ごはんを全部作っていました。

義母と一緒に朝食を食べたら、昼食用のお弁当を渡して出勤。夜ごはんもお皿に盛りつけた状態で冷蔵庫に入れておいて、娘に「帰ってきたらチンして、ばあばに出してあげてね」とお願いする。そんな毎日でした。

「ファッションの力」で救われた

30代40代は、おしゃれ自体への興味こそ失ってはいませんでしたが、今思えば、暗い色の服しか着ていませんでした。

娘からはよく「ママは顔は笑ってるけど、目が笑ってない」と言われていました。無自覚でしたが、きっと疲れていたんでしょう。

家具屋さんや手芸材料店などいくつかのパートを経験。手芸屋さんで働いているときに娘が思春期に突入して、その心配もあって家からの距離が近い施設の受付のパートに変えました。そこがもう一番の暗黒時代でした。

何が落ち込むって、制服が地味で似合わなかったんです。

毛髪の色まで細かく決まっていて、明るくなんてできません。もちろん仕事上の身だしなみは仕方ないことと理解していましたが、身につけるものが気分に直結すると身に沁みました

あとは女性が多い職場特有の人間関係にも悩みました。噂話や、マウント合戦が苦手な私は、同じパートの女性たちの輪に溶け込むことができませんでした。

合わない仕事に神経をすり減らして自転車で帰宅したら、家の中には思春期のどんよりした娘がいて、そんな娘を塾に送った後は、義母とふたりで黙々とご飯を食べる、みたいな日々。

本当にその頃は毎日が楽しくありませんでした。

仕事再開、離婚、そして独立

これではいけないと一念発起し、48歳のときにセレクトショップの販売員の仕事を始めました。

介護との両立で時間のやりくりは大変でしたが、お店にあるパリコレに出ているようなブランドのキレイな洋服を見ていると、それだけで気分が晴れたことを覚えています。

介護や日々のさまざまなことに追われる中で、ショップで働いているときだけが本当の自分を取り戻せる時間でした。

特に50歳前後の数年間は、自分の時間が取れないほど忙しい日々を過ごしてきた、という冨永さん(撮影:松木潤(主婦の友社))

一方で、夫とはうまくいっていませんでした。浮気をしていることは薄々気づいていましたが、特に何も言いませんでした。家には一応帰ってきていたし、正直私も日々の生活に追われて深く考える余裕がなかったんです。

そうこうしているうちに、夫が自宅に帰ってくる日がだんだん減ってきて、義母が亡くなると家に帰ってこなくなり、1年ほど失踪!?という状況でした。

義母が亡くなった同じ年に今度は私の父親が倒れて亡くなりました。葬儀のあとで久しぶりに夫と会ったとき、ねぎらいの一言でもあるかと思ったら、まさかの離婚の申し出でした。驚きました。

「結婚したい人がいるんだけど」って。順番がぐちゃぐちゃですよね。今はこうやって笑って話してますが、当時は深く傷つき、落ち込みました。

セレクトショップの販売員は2019年、51歳のときに退職。そこでなんとなく「独立しようかな」と思い立ちました。

ただその時期は、自分自身の離婚や家庭の事情が山積みだったので、スタートを切ることもできませんでした。

名ばかりのフリーランス状態で時間だけはあったので、パーソナルカラーや顔タイプ診断の検定を片っ端から取り、心理学の講座や起業塾にも行きました。

好きな服を着る楽しさを伝えている(撮影:松木潤(主婦の友社))

独立後しばらく売り上げはほぼなし。

2020年ぐらいから何となく仕事として成り立ってきたぞ……みたいな矢先に今度はコロナがやってきました。外出自粛の風潮があり、せっかく予約していただいたショッピング同行もできなくなり、再び収入はゼロに。

仕事もなくどうしようとなっていたときに、オンラインで無料のグループ相談会を思いつきで始めることにしました。

2カ月の間に、週1回から週2回というペースで開催。そこで130人ぐらいの集客に成功し、百貨店が再開したタイミングでショッピング同行の仕事も再スタート。オンライン相談会でつながったお客さまが来てくれました。

40代50代こそ「自分を見つめる時間」を

私が45歳だったのは、ちょうど制服を着て働いて、人間関係に悩んでいた暗黒期あたり。

45歳って、家では家族のために働き、仕事に関しても重要なポストを任されたりして、「自分を犠牲にして何かをしなくてはいけない」というシーンが多い時期だと思うんです。

私自身も40代後半を振り返ってみて、「自分のことを考えている時間なんて、1日に1分もなかったな」と思います。

毎朝30分のインスタライブを続けている(写真:冨永さん提供)

インスタライブでもよく言っていることですが、みなさんには自分のことを考える時間を5分でも10分でも作ってほしい

今の自分のことや、この先こんなことがしたいというような希望について考える時間を意識して作ってほしいなと思います。

おしゃれも「自分のことを見つめる作業」のひとつ。自分のことがわからないと、着飾るという行為はできません。

自分のことを知らないまま、適当に買ってきた服を適当に着ているから、気づくとおかしなことになっているんです。

毎日数分でもいいので、鏡の前に立って、今日の自分はどうだろう、と見つめてみてください。インスタライブではいつも「この30分間だけは自分のことやファッションのことだけを考えましょう」と言っています。

今の自分を知り、時代のトレンドを知ると、「自分のおしゃれはアップデートできないな」とかそういうことにも気づけます。自分の変化を知り、年齢にマッチした似合うものを知って、おしゃれを楽しんでもらいたいと思います。

人生はまだまだ長い

ほとんどの人にとって、おしゃれが生活のメインではないと思います。

だからこそ自分に似合うものがわかっていれば、コーディネートにかかる時間も短縮。服に迷う時間をなくして、あまった時間を本当にやりたいことに費やせるようになれると本望ですよね。

『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』(主婦の友社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

あとは服装が決まれば自信につながります。人から褒められることが少なくなってくる年代なので、「その服ステキね」とひと言言われるだけでもうれしい気持ちになるのではないでしょうか。

外見が変わることは、その人自身に与える影響も大きい。

外見が変わって自分に自信がついたらその先に見える新しい何かにチャレンジできるかもしれない

そうやって人生の後半戦をより良いものにしてもらいたいですね。人生まだまだ長いので。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。