あの北島康介さんが「壁」を感じている。
オリンピック2大会連続で金メダルに輝いた日本競泳界の「キング」は今、子ども向けの「南青山スイミングスクール」(東京都港区)の運営に携わっている。
誰でも気軽に楽しめるスポーツとして子どもの習い事でも人気の水泳。それでも「生涯スポーツ」として選ばれるため、乗り越えなければならない課題があるというのだ。【中嶋真希】
「日本水泳界の大きな課題」
「水泳は、0歳から高齢者まで、長く楽しめるスポーツです。子どもの習い事としては、向上心や競争心が自然に育まれ、成長を実感しやすいという点が、ほかのスポーツにはない魅力だと感じます」。北島さんは現役時代と変わらぬ、朗らかな表情で語り出した。
水泳の人気は、根強い。笹川スポーツ財団が4~11歳の習い事について、2010~21年に計7回行った調査では、どの年も水泳が1位だった。
一方で、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライの「4泳法」を習得したらスイミングをやめてしまう子どもが多いという。「そこまでできれば、もう十分」と考える親が多いことに加えて、小学4、5年生になると、塾通いに取って代わられることも原因だ。
「そこが、日本の水泳界の大きな課題だと思っています。学校教育で水泳指導も減っていく中、スクールでは、4泳法習得後に水泳を習う子どもがぐっと減ってしまう。4泳法を泳げる、ということに満足せず、次の目標を作ってあげることが重要なんです」
しかし、泳げるようになった次の目標が、本格的に競技に取り組む「選手コース」になると、ハードルが一気に上がる。毎日のように練習に取り組み、年間を通して大会出場を目指す必要があるからだ。
北島さんは「幼少期は水泳を楽しむことができるのですが、年齢が上がって競技的になるにつれて、水泳の本質を楽しむことが難しくなる」と指摘する。
「ほかの習い事や、受験との兼ね合いで難しくなり、子どもが水泳をやりたいという意思だけでは、どうにもならない状況になります。選手コースだけでない、(成人を対象にした)マスターズ水泳のような楽しむ場が、スイミングスクールにあればいいと感じています」
使命感もありますね
北島さんは現役だった11年に、KITAJIMAQUATICS(キタジマアクアティクス)を設立。自身が実践してきたトレーニング方法をベースに、トップアスリートとして活躍してきたコーチ陣が指導するスイミングスクールだ。
キタジマアクアティクスからは都立高校の部活動などにも指導者を派遣してきた。そこで北島さんが目にしたのは、競技選手を目指すスイマーだけではなく、勉強にも力を入れながら純粋に水泳を楽しみたい高校生たちの姿だった。
「選手ではなく、部活で水泳をやっている子たちって、本当に水泳が好き。自分が泳ぐのも、見るのも好きなんですよね。学業もあって、なかなか年間を通して部活動のスケジュールは決められない部分があるのですが、泳ぎたいという高校生の気持ちに合わせて、トレーニング方法や練習環境を作ることが大事なんです」
一方で、プールの老朽化が多くの学校で課題になっている。教員の働き方改革もあり、水泳の授業が減ったり、民間に委託したりする変化もある。日本中学校体育連盟は今年6月、全国中学校体育大会の規模を縮小し、水泳や体操などを27年度から実施しないと発表した。
「何とかしなきゃっていう、使命感もありますね」と、北島さんはため息まじりに言う。
大谷翔平、北口榛花の共通点
水泳を「生涯スポーツ」として根付かせたいという北島さんの願いの裏には、亡くなった祖母の記憶がある。
「ぼくが五輪に出場するのを見て、60代から水泳を始めたんです。4泳法を泳げるようになって、すごいですよ」
そして、幼いころから水に親しんできた他競技のアスリートたちが大きく開花する姿にも励まされ、キッズスイミングの可能性を再認識している。
「大谷翔平選手など少年時代に水泳をやっていた野球選手は多いし、(パリ五輪の陸上女子やり投げで金メダルを獲得した)北口榛花選手は水泳でも中学時代に全国レベルで活躍していました。ほかの競技のアスリートが、トレーニングやリハビリで水泳を選択することもあります。幅広い目的でスイミングを続けてもらうということが大事だと思います」
最初の一歩を踏み出し、続けてもらうことの大切さを北島さんは伝え続けたいという。
「何歳からでも、スポーツを自分の生活習慣の中に一つ組み込むというのは、とても大事だと思います。山登りでも、サーフィンでも。自分で自分のストレスをコントロールできる人って、輝いて見えますよね」
きたじま・こうすけ
東京都出身。5歳から水泳を始め、2000年に高校3年でシドニー五輪に出場し、100メートル平泳ぎで4位に入賞。04年アテネ五輪では100メートル、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得。08年北京五輪でも両種目で金メダルを獲得し、日本選手唯一となる2種目2連覇を達成。アテネ五輪では「チョー気持ちいい」、北京五輪では「何も言えねえ」と喜びを語り、流行語になった。リオデジャネイロ五輪の選考会を兼ねた16年4月の日本選手権限りで競技活動を引退。引退後は、公益財団法人東京都水泳協会の会長や、競泳の国際プロリーグであるインターナショナル・スイミング・リーグ(ISL)に参画するアジア初のプロ競泳チーム「Tokyo Frog Kings」ゼネラルマネジャーを務める。
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