1980年代のヒットソング『悪女』『あの娘』(中島みゆき公式HPより)

気がつけば、日本には、ずっと彼女の歌がそばにある――。

1970年代、80年代、90年代、2000年代、すべての時代でオリコンのシングルチャート1位を獲得しているソロアーティスト、中島みゆきだ。

1975年のデビューから愛され続けている彼女。デビュー50周年を目前にして、さらに注目度が高まっているのだ。

4月6日から18年ぶりに復活したドキュメンタリー番組「新プロジェクトX」では、前回同様に主題歌を担当。『新・地上の星』が流れ、視聴者の心を再び奮い立たせている。

そして角川武蔵野ミュージアムでは、4月20日から「中島みゆき展 『時代』2024 めぐるめぐるよ時代は巡る」(6月23日まで)が開催中だ。

時代に“愛される”というより、もはや“求められる”中島みゆき。価値観がまったく違う団塊の世代と令和のZ世代が、ノスタルジーという感覚を抜きに彼女の歌を聴き、つらいときには励まされ、脚を踏ん張るのだ。

そんなアーティストは、他になかなかいない。

「暗い」「怖い」と言われた1970年代

中島みゆきは1975年、『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。さらには同年、シンガーソングライターの登竜門、ヤマハポピュラーソングコンテスト、通称「ポプコン」で『時代』を歌い、グランプリを獲得している。

なんと彼女とポプコン本選への切符を競った北海道大会出場者には、安全地帯もいたという。ボーカルの玉置浩二はまだ学生だったそうだが、中島みゆきと安全地帯が競う予選とは、想像しただけで動悸が激しくなる。

そして、あの名曲『時代』が、この時期にすでに作られていたことにも驚く(中島は当時23歳)。

 ただ、中島本人は以前この曲について、当時の流行には乗っていなかったため、次の新曲が出るまでのものだと思っていたと歌番組で語っていた。ここまで息が長く愛されるとは想定外だったようだ。

自身のデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』も好調、1976年には研ナオコに提供した『LA-LA-LA』もヒットし、初盤からまさに順風満帆。それは間違いないのだが、70年代、80年代中盤頃までは、彼女のイメージは決して“華やかな売れっ子”ではなく、暗さのほうが目立っていた。

「ひとりで泣いてちゃみじめよ」と歌う『アザミ嬢のララバイ』から始まり、『わかれうた』(1977年)、『ひとり上手』(1980年)と、シングルで次々と、どん底の失恋と孤独を歌っていたからだ。

歌詞の多くは、好きな人に自分の存在そのものを否定され、時にあざ笑われ、それを自分でも認めてしまう、哀しさがつづられていた。

私が彼女の歌を初めて聴いたのは『わかれうた』だったが、当時まだ子どもだったので、

「途に倒れて だれかの名を 呼び続けたことがありますか」

という歌詞があまりにも悲惨すぎて、リアクションを入れながら、ギャグとして歌っていた覚えがある。その20年後、この歌詞が身に染みて泣くのであるが。

楽曲とは違いハイテンションなキャラクター

もちろん、恨みやむくわれなさを歌う楽曲そのものは、70年代初盤から、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』(1970年)など、それなりに多かったのだ。男女格差が大きく、荒ぶる男、虐げられる女という図式が恋愛ソングにも反映されていたのである。しかし、その多くは男性作詞家による楽曲だった。つまり、男性が考えた“ドラマ”だったのだ。

そんななか、フォークソングの流行や前出のポプコンなどをきっかけに、気鋭の女性シンガーソングライターが出現するようになる。そして、女性が“女の本音”を歌い出した。

中島みゆきより2年前にポプコンで優勝した小坂明子は、フラれた相手と妄想で結婚する『あなた』(1973年)を歌った。 そして中島みゆきは、誰もが、「これを言ったら嫌われてしまう、負けてしまう」と心にふたをしている、どす黒くてみっともない感情を、強い声で世の中に放ったのだ。

中島みゆきは暗い。人の負の部分を歌う、怨念を感じる。 テレビの歌番組に出なかったことも要因になり、中島みゆきのキャラクターは、そんな曲のイメージに包まれ先走りながらも、歌謡曲全盛の時代にニューミュージックでいち早くランキングに食い込むなど、多くの人に支持された。

インパクトが強かったのが1980年の『うらみ・ます』。アルバム収録曲にもかかわらず、大きな話題となった。

冒頭から流れる「うらみ・まーすー!」というストレートな叫び声。描かれているのは、相手の家のドアに爪でメッセージを書くヒロイン。さらには「うらみます あんたのこと死ぬまで」という歌詞。この曲が収録されたアルバムのタイトルは『生きていてもいいですか』である。すさまじい。

失恋や疎外感に苦しむ人が、彼女の歌を聴き、自分の気持ちを代弁してくれるような、カタルシスを覚えた。その露骨な、敗者・弱者目線の歌から罪悪感と優越感を抱いたり、怖いもの聴きたさの好奇心をそそられた人もいただろう。

彼女の歌には、負の感情と向き合う陶酔感すべてが詰まっていた。

ただ、1979年4月から「中島みゆきのオールナイトニッポン」がスタートし、楽曲のイメージとはまったく違う、明るくハイテンションな彼女のキャラクターが、徐々に認知されていくのである。

曲は暗くて怖いのに、おしゃべりは面白い。そのギャップがまた、彼女の人気を定着させた。

1980年に入ってもシングルは売れ続け、『悪女』(1981年)、『誘惑』『横恋慕』(ともに1982年)、『あの娘』(1983年)など、コンスタントにヒットしている。

意外とアイドルと相性がいい

中島みゆきの失恋ソングは、意外とアイドルとも相性がよく、多くの若い才能を花咲かせている。

1976年からすでに楽曲提供を始めていた中島だが、センセーショナルだったのは、桜田淳子。当初は阿久悠の楽曲『わたしの青い鳥』(1973年)や『夏にご用心』(1976年)などで、弾けた笑顔が似合うキラキラのアイドルという印象が強かった。

しかし、中島が提供した『しあわせ芝居』(1977年)や『追いかけてヨコハマ』(1978年)で、“逃げられる歌”が似合う実力派歌手へと見事に脱皮していった。

1980年代は、柏原芳恵が『春なのに』や『カム・フラージュ』(ともに1983年)などで独特の太い声でむくわれなさを表現し、工藤静香は『黄砂に吹かれて』(1989年)で、華やかさの中に誰にも理解されないような孤独を歌った。

個人的には、三田寛子の風に吹かれて飛んでいきそうな『少年たちのように』(1986年)が、儚くてとても好きだった。

平成に入ってからも、TOKIOの『宙船』(2006年)、ももいろクローバーZの『泣いてもいいんだよ』(2014年)など、グループアイドル独特の力強さを通じて、立ち上がるメッセージを送っているようだった。

彼女の歌の醸し出す哀しさは、若いアイドルには荷が重そうにも見えるが、その重さが、彼ら、彼女たちの新たな魅力を引き出すのに有効だったようにも思う。笑顔の裏の見えない涙や大人びた決心など、それぞれの心の中をのぞいている感じになるのだ。

中島みゆきの世界が持つ“面倒臭さ”を歌うのは、世慣れたベテランのほうが意外と難しいのかもしれない。

提供曲ではないが、テレビドラマ『3年B組金八先生(第2シリーズ)』第24話「卒業式前の暴力(2)」(1981年放送)で、彼女が歌う『世情』(1978年)が挿入歌として使われたときも、思春期の若者が持つ絶望感と歌がぴったりと合っていた。

1990年頃まで、シングルとしては失恋ソングが多かった中島みゆきだが、1993年、『時代』をもう一度シングルリリースした以降から、心を奮い立たせるような楽曲が増えていく。

ちょうどバブルの浮かれきった時代のツケが回ってきて、世の中が暗く、胡散臭くなりだした時期だ。絶望や本音だけではなく、避けては通れない業と再生の歌が増えてくる。

今も支持される『ファイト!』『糸』

「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」と歌う『空と君とのあいだに』(1994年)、消えていく自分を必死で探すような『命の別名』(1998年)は、どちらも、世紀末の厭世観をこれでもか、と感じる。

しかしそこからのなりふり構わない“再生”に向けての応援が、あの唸るような力強い声で絞り出され、心に響く。

この『空と君とのあいだに』と同時収録されているのが『ファイト!』、『命の別名』と同時収録されているのが『糸』である。

大ヒットドラマ『家なき子』の主題歌に採用された(中島みゆき公式HPより)

人と生きることで出てくる罪悪感や葛藤を歌う『ファイト!』と、やさしく人の縁を歌う『糸』は、逆のベクトルながら、歌というより、心の常備薬のような役割を果たしている。

多くのアーティストにカバーされ、『ファイト!』は満島ひかり、槇原敬之、吉田拓郎、『糸』はBank Band、平松愛理、岩崎宏美、JUJU、福山雅治、ATSUSHI(EXILE)、平原綾香、Aimerなどそうそうたる面々が歌っているが、この2曲が不思議なのは、どんなに歌が苦手な人が歌っても泣ける、ということである。

これはもう、歌というものが持つ可能性の究極ではないだろうか。

『ファイト!』が初めて発表されたのは1983年(アルバム『予感』収録)。41年も前の歌なので、歌詞の時代背景が違う。しかし、「ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」と歌うこの曲は、SNSが普及して顔も本名も知らない人たちから攻撃を受けることが多いこの時代だからこそ、響いてくるものがある。

仕事や学校、人間関係に悩み、コンプレックスや罪悪感に向き合いもがく誰かを、「w」(「笑」のネットスラング)を連打して笑ってくる人など気にしなくていい。それは闘わない人なのだから、と歌ってくれているように聴こえるのだ。

中島みゆきの楽曲が時代を超え、求められるのは、自分の心の叫び声と、とても似ているからだろう。 いつの時代も、嘲笑はなくならない。つらいこともなくならない。けれど、「ふるえながらのぼってゆけ」。

そう歌う中島みゆきは来年50周年。これからも変わらず、彼女が織りなしてきた、みっともないほどに本気でやさしい言葉は、巡り巡って心に届くだろう。

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