井手英策さんの連載第5回のテーマは「公平とは何か?」です(写真:yasuyasu99/PIXTA)財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第5回のテーマは「公平とは何か?」です。

丸焼けになった実家で奇跡的に残っていた手紙

第2回(『脳出血で倒れた30代男性、自ら死を願った驚愕理由』)で、私の母と叔母が火事で亡くなった、という話をした。

そう。2019年5月、私の実家は火事で丸焼けになった。悲しいことに、思い出・記録のほとんどが消えてなくなったが、奇跡的に焼け残った袋のなかに、1通の手紙があった。

それは、幼稚園の先生が母にあてた手紙だった。

当時、母はまだ働いておらず、わが家の収入源は叔母だった。朝から晩まで働き通しで得た収入から、なけなしのお金をはたいて、私はバイオリン教室に通わせてもらっていた。

母は発表会の写真を先生に渡したようで、手紙にはこう書いてあった。

「立派に写ってあり、ほほえましく思えました。また、あの日の演奏が聴こえてくるようです。レコードから“ロングロングアゴー”が流れてくると、『あっ、英策くんがバイオリンで弾いたのよ』と話したりしています。まだ、バイオリンってどういうのか知らない子もいるかもしれません。今日は、写真をみんなに見させていただこうと思います。きっと喜ぶことでしょう」

あの日の演奏……そうだ。幼稚園の先生たちは、私のバイオリンの発表会に来てくださったのだ。会場の一番うしろで『星の王子さま』をプレゼントされ、本にはみなさんのサインとメッセージが書かれていた。

記憶がよみがえる。母は、運動会になると、深夜まで準備に追われる先生たちが気の毒だと言って、先生全員分のお弁当を作っていた。それだけではなかった。毎週、月曜日の朝には、教室が明るくなるように、と、玄関の前に咲く花を摘んで、持たせてもらっていた。

母が書いた日記をとがめなかった先生

生徒をはさんだ先生と親の交流。この不思議な関係は小学校でも続いた。

小学4年生のことだ。私は、朝の教室で、宿題の日記を書き忘れたことに気づいた。ムダだとは知りながらも、わらにもすがるような思いで日記帳を開いた。するとそこには、昨晩の親子の会話がそのまま書きこまれていた。

母の字だった。昭和1桁生まれで旧字体を使う人だったから、代筆がばれるのは必然だった。それでも私はその日記を提出した。学校で一番きびしい先生だったから、気が気ではなかったが、奇妙にも、先生からは何のおとがめもなかった。

10年の月日が流れた。大学生になった私は、母の店で当時の先生とお酒をご一緒させていただく機会を得た。ずっと不思議に思っていた私は、先生に日記の話をたずねた。先生はしっかりと覚えておられ、こうおっしゃった。

「気づいとったよ。あれは、教師人生、最初で最後のできごとやったね。疲れて日記を忘れる日はみんなある。でも、お母さんは、それを見逃さんで、ちゃんと気づいて代筆なさった。お母さんは必死で子育てされとった。そんなお母さんの気持ちを思ったら、井手くんを叱れるわけがないやろう」

貧しさと闘いながら、私を育ててくれた母。よほどうれしかったのだろう。カウンターの向こうで彼女は泣いていた。そして、目にハンカチをあてながら、<その後の物語>を僕たちに語ってくれた。

それは4年生最後のPTA会合だった。親御さんから先生に「感謝の胴上げを」という声があがった。だが、先生は、「私じゃない。歯を食いしばって子育てをしている井手くんのお母さんを胴上げしてください」とおっしゃったそうだ。

「みんな、『そうしよう!』と言って、胴上げしてもらったとよ」

母は泣きつ、笑いつ、そう言った。先生は照れくさそうにお酒を飲んでおられた。

みなさんは、子どもの習いごとの発表会に足を運ぶ幼稚園の先生をどう思うだろう。先生に弁当を作ったり、花を持たせたりする親をどんな目で見るだろう。子どもの代わりに親が宿題をやる、そんな親を先生がほめ、同級生の親が胴上げをする……。

なんて大らかな時代だったのだろう、と私は思う。つけ届けや過保護を正当化する気はない。先生と親、親と親の<距離感>を聞きたいのだ。

「公平さ」の名のもとに増える禁止事項

教育者の端くれとして思う。私たちは、教員の公平な態度を考えるとき、親=子=先生の距離感を型にはめて考えがちだ。あるべき距離感、杓子定規な態度を<常識>とみなす。

例えば、バイオリンを習えない貧しい家庭の子がいる。その子と平等にあつかうために、バイオリンを習っているお金持ちの子は特別扱いしない。きちんと自分で宿題をやってくる子がいる。だから親が代わりに宿題をやった子を叱る。

まったくの正論だ。だが、学校の先生は、この<正論>しか選択してはいけないのだろうか。もしそうなら、公平さの名のもとに、禁止事項が増える一方ではないだろうか。

必死に頑張っている、豊かな家庭の子どもを励ましに発表会を見にいく。貧しい家庭の親御さんの苦労を察し、みんなで胴上げをする。お金持ちも、貧しさも関係ない。そんな理由で線を引く必要はない。

時にはある人が、別のときには別の人が、それぞれの頑張りに応じて特別扱いされる。大事なものを大事にする。そんな公平さ、いや、やさしさもあってもいいのではないだろうか。

教育の現場はリベラルになった。昔よりもずっと子どもの権利は保障されている。私はすばらしい変化だと思っている。だが同時に、親も先生も、不寛容で、融通が利かなくなった。

親たちは、<自分の子どもの受益>を<他の子どもの受益>と比較する。モンスターペアレンツを持ちだすまでもなく、教育者への尊敬の気持ちも薄れつつある。

仕事が忙しすぎる先生たちは、子どもや親との適切な距離を探る余裕をなくし、親からの批判を恐れて、定型化された行動を無自覚に受け入れている。

教育をよくするのは専門家ではない

昔の日本では、先生がたも、友人の親御さんも、みんなが私たち<子ども>のことを考えてくれていた。いや、子どもだけではなく、母もまた、社会や地域に支えられ、育てられていた。母はそんなみなさんに恩返ししようと必死だった。

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『星の王子さま』は火事で燃え、小学校の恩師は鬼籍にいられた。だが、私の心に刻まれたこの温もりは、形はちがっても、子どもたちの心に受け継がれてほしい。

もちろん過去を懐かしむだけではダメだ。昔はよかったでは答えにならない。もっと先に進まなければ。

子どもの権利を守りながら、先生たちが教育に専念できる環境整備を急ぐべきだ。先生の数を増やす。先生たちの学びの機会も増やす。社会の子育てが可能となるような仕組みを地域に落とし込むことだって必要だ。

お金はどこから? 税を払うべきだ。私ならそうしてほしい。人は国の礎。すべての国民が本気で考えるべき、この国の未来の礎のためなのだから。

教育をよくするのは専門家ではない。未来を本気で考える私たちの意志なのだ。

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