朝ドラ『虎に翼』の伊藤沙莉演じる寅子(左)と、大河『光る君へ』で吉高由里子演じるまひろ(画像はともにNHK公式サイトより)

この国で最も多くの人が見ていて話題にする注目度の高いテレビドラマといえば、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)と大河ドラマである。ドラマの世帯視聴率が下がる一方で、この2つだけはつねに高く安定している。

現在放送中の朝ドラ『虎に翼』と大河ドラマ『光る君へ』も好評で、そこには共通点がある。「学問」の重要性だ。『虎に翼』では法学、『光る君へ』では文学と、ジャンルは違えど、ヒロインが学問の世界に生きている。そしてそれぞれ高い知性と教養を持っていることも共通している。

いまなぜ、NHKは知性と教養あるヒロインを描くのか。そこに時代が見えてくる。

大河ドラマに「山場」がなくなった?

戦闘シーンが懐かしい。『光る君へ』の記事を書くために、同じく大河ドラマで平安時代が舞台の『平清盛』(2012年)を見返して、戦闘シーンが多いことに隔世の感を覚えた。

松山ケンイチ、豊原功補、玉木宏、小日向文世……主要人物たちがこんなにも戦っている。もちろん毎回戦っているわけではなく、たまたま見返したのが保元の乱の回だったというのはあるのだが。

いま世界でむごたらしい戦争が続いている状況で、戦闘シーンをどう描くかが問われている。前作『どうする家康』も脚本制作にあたって、ウクライナ情勢のことも含め「いま戦国ものを書く意味とは何なのか」を考えたと聞く。

だからなのか、戦をしないで済む方法を考えようとして、信長の目を欺き武田と徳川が戦をしているフリをするという、大胆過ぎる創作エピソードが生まれたほどだった。

『光る君へ』は創作するまでもなく、もともと死が穢れとされ、貴族は自分の手を血で汚すことをしなかった時代の物語のため、刀を交えることがいっさいない。貴族たちは弓の練習をしているがあくまで武道であり、人を殺すことには使用しない。権力闘争には頭脳戦が用いられ、普段の貴族たちは平和に歌舞音曲や和歌を楽しんでいる。

脚本の大石静は、「本能寺の変」「関ヶ原」「大坂の陣」というようなわかりやすい山場が今回はないことに対して、

「例えば、戦国時代だと、長篠の戦いだったら馬防柵、関ヶ原だったら家康は桃配山に陣を敷き、石田三成は伊吹山に逃げたとか、そういうビジュアル的に有名なものがありますが、今回はありません。でも、人間の足の引っ張り合いは、戦と同じくらいスリリングだと思います。本能寺の変で信長が死ぬってわかっている物語より面白いかもしれませんよ。

山場がなくて大変ですね、と言われたって、そこを私達は逆手にとって勝負を賭けるしかない。やってみなくちゃわからないけれど、きっとおもしろい。平安オタクしかわからない、先の見えないおもしろさですが、毎週見たくなっちゃうようにがんばっています」

と答えていた(Yahoo!ニュースエキスパート「紫式部と藤原道長はどんな人? 大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静はこう見る」より)。

家柄の良さが大前提で、さらに頭の良さと芸術の素養にプライオリティが置かれていた時代の物語。『枕草子』に書かれた「香炉峰の雪」のエピソードが描かれると予告されるやいなや、高校の教科書に載っていた、なじみのエピソードということでSNSでの反響は大きかった。

山場はないと言われていても、「大坂の陣」や「保元の乱」のような、なじみあるエピソードがあったのである。

「知性ある主人公」が目指すもの

「香炉峰の雪」とは、ある雪の日、定子(高畑充希)が「香炉峰の雪はいかがであろうか」と清少納言(ファーストサマーウイカ)に問いかけたところ、清少納言が中国の詩人・白居易の詩になぞらえ御簾をあげて雪を見せたという、機転を利かせた逸話だ。

殺し合う腕力よりも、教養の高さや機知が宮中で生きるうえでは重要であることを感じさせるものだ。

SNS上を沸かせた「香炉峰の雪」を再現した第16回。ファーストサマーウイカが清少納言を見事に演じる(画像:NHK『光る君へ』公式サイトより)

『光る君へ』では劇中で使用される和歌や漢詩の話題が毎回、SNSで俎上にのる。劇中でも登場人物が和歌の解釈を話し合っていて、互いに送り合う文の内容も、現在のLINEの素っ気なさとは雲泥の差の深い意味が込められたもので、日常から考察合戦が行われていたかのようである。

ただし家柄が良くないといかに教養があっても不遇で、それが下級貴族の主人公・まひろの家だ。まひろはその不遇を、知性と教養で打開していく。

まひろは父譲りの勉強好きで、この時代、女性には珍しく漢詩も読みこなした。その知性と教養がゆくゆく世界的文学『源氏物語』を生み出すわけだが、まひろはその知性を貧しい者たちにも分かち合おうとする。

文字の読めない貧しき者が騙されて搾取されることがないよう、文字という武器を得ることでさまざまな格差を打破しようとするのだ。

階級格差も男女差も、学びによってひっくり返る。まひろが影響を受けた藤原道綱母こと寧子(財前直見)の『蜻蛉日記』は初めて女性が残した日記文学で、妾という立場を書き記すことで、寧子は妾という立場の悔しさ寂しさを解消していった。

彼女の文才が精神を癒やすのみならず、夫の愛をつなぎとめることにもなるのだ。

男性による日記以外に、女性の観点で描いた記録があることが、1000年のちの現代にも役に立っているとは、道綱母や紫式部や清少納言は想像しただろうか。

ロバート秋山が演じて視聴者に人気の藤原実資も日記を書くキャラで、歴代妻から、政治に対する小言を日記に書くように助言されている。

日常を観察し書き残す偉大なる記録文学を残した藤原道綱母も実資も紫式部も、悩みを文学にぶつけることで救われているというエピソードは、画的に派手な戦エピソードと比べたら地味ではある。が、いま人間の知性の可能性に目を向けることこそ、終わらない戦争や不安のつきない自然災害やちっとも豊かにならない生活のなか、必要なのではないだろうか。

「婚姻状態にある女性は無能力者」だった時代

朝ドラ『虎に翼』でも、日記が重要な役割を果たしている。ヒロイン寅子(伊藤沙莉)の母・はる(石田ゆり子)の日記が、家長・直言(岡部たかし)の無実の罪を晴らす助けになった。

「婚姻状態にある女性は無能力者」などという法律もあった時代に嫁ぎ(のちにその法律は改正された)、人前では夫を立てて目立たぬようにしてきた妻の記した日々の暮らしの記録が、日本を揺るがす大事件(株式売買をめぐる疑獄事件で、官僚、政治家が逮捕され、内閣が総辞職することになった帝人事件がモデル)の真相を暴く役割を担うのだ。

母の日記から、父の自白との矛盾を発見した寅子は、大学で法を学んでいる。『光る君へ』のまひろと並ぶ知性派ヒロインだ。彼女のモデルは、日本ではじめて女性の弁護士になり、のちに裁判官になった三淵嘉子。

明治大学法学部出身で、ドラマでは明律大学と名を変えている。戦前、原則として、大学で学ぶことができる者は男子に限られていた時代、明律大学には女子部があった。そこに入学した寅子たちは努力のすえ大学に進学する。

途中、法改正によって女性も弁護士になれるようになるが、それまでは法で定められていないため、法律を学ぶ女性は応援されなかった。女性をはなから馬鹿にしたり、勉強を続けることを問題視して婚約破棄したりする男性もいるなか、寅子と何人かの志ある女性たちは、無理解や偏見を打破しようとする。

女性が学ぶことを諦めず奮闘する寅子を伊藤沙莉が熱演する(画像:NHK『虎に翼』公式サイトより)

ドラマジャンルで人気の「リーガルエンタメ」と謳ってもいて、男女平等でなかった時代に、平等を勝ち取るべく奮闘する社会派の物語が、堅苦しくなりすぎないようにいろいろ工夫されている。

楽しく見ているうちに、寅子のように法を学ぶことで、法に縛られるのではなく、その解釈によってよりよい生き方を発見できるのではないかという目からウロコの発見がある。

いまNHKのドラマで「知性派ヒロイン」を描く重み

ドラマを見て癒やされて現実のしんどさをひととき忘れることもいいけれど、ドラマで描かれた問題を他人事ではなく自分事として捉えることも、ときにはいい。そうして、ドラマの中の人たちのように言葉を尽くして、不利な状況を有利に変えるべく一歩前に出ることができればなおいい。

『虎に翼』はそんなきっかけを作るドラマだ。ドラマに背中を押されて、SNSで発言している人たちも少なくない。

『光る君へ』のまひろも、先述したように文字によって状況を打破しようとしている。まひろは文字を書き残し、寅子は文字(法律)を読み解く。文字――言葉に、願いや祈りをこめて書くこと、その声を的確に読み取ること。

それらに必要な知性や教養の重要性を、いま、この国で最も多くの人が見て話題にする注目度の高い朝ドラと大河ドラマが放送していることを重く受け止めたい。

まひろも寅子も、学べば学ぶほど、生き生きし、その眼差しは輝いていくのだ。

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