東京都教育委員会が都立学校の教職員に入学式・卒業式での「日の丸・君が代」を強制している問題を巡り、国連自由権規約委員会が審査結果の中で、思想や良心の自由を保障するよう求める勧告を出してから1年半以上たつ。政府は勧告をいまだ和訳せず、都教委はわが事ではないように振る舞っている。度重なる国際的な勧告に正面から向き合わず、いつまで逃げの姿勢を続けるのか。(山田雄之、森本智之)

◆2022年に公表された審査結果、外務省はいまだ和訳せず

 「国民の知る権利の観点から、早急に仮訳を公表すべきではないか」。4日の参院外交防衛委員会。自由権規約委が2022年11月に公表した日本政府への審査結果について、外務省のウェブサイトに和訳が出ていないことを高良鉄美氏(沖縄の風)が指摘した。サイトでは1年半以上たっても、英語など国連公用語版しか掲載されていない。

4日の参院外交防衛委員会で、勧告の翻訳について答弁する上川陽子外相=参議院インターネット審議中継より

 上川陽子外相は「(審査結果は)範囲も広く、関係する府省庁も多岐にわたる」「専門用語、法令用語を踏まえる必要がある」などと説明。「正確な仮訳を作成するために時間を要している。できる限り早期に公表できるよう努めたい」と述べた。ただ、日本弁護士連合会は23年4月に審査結果の和訳を公表しており、外務省の消極姿勢が浮かぶ。  審査結果で厳しい目を向けられたのが「日の丸・君が代」問題だ。

◆石原慎太郎都政期に規定、計481件の処分

 石原慎太郎都政期の2003年、教職員は「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」と規定し、従わない場合は責任を問うことを明記した通達が出された。文部科学省によると、03〜22年度で計481件の停職、減給などの懲戒処分があった。  自由権規約委は審査結果で「教師の消極的で暴力的でない行為の結果、一部の者が最長6カ月の職務停止の処分を受けたこと」「式典中に生徒に起立を強制するために有形力が行使されたこと」に対して懸念を表明。「締約国は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、このような自由を制限するいかなる行動も慎むべきだ」と勧告した。

東京都庁第1本庁舎(手前左)と第2本庁舎=東京新宿区で、本社ヘリ「まなづる」から

 これに先立ち、国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同委員会も2度にわたって、「起立や斉唱を静かに拒否することは、職場という環境においても、市民的権利を保持する教員の権利」などとする是正勧告を出している。

◆「勧告されたのは国だから東京都には関係ない」で通る?

 処分された教職員らでつくる「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」は自由権規約委の審査結果を受け、今年2月に外務省と文科省との意見交換の場を持った。外務省に対し、審査結果の早期の和訳や地方自治体への送付を要望したが、担当者は和訳作業のめどを示さず、「完了したらサイトに掲載して周知する」と自治体送付を受け入れなかった。  文科省には「強制は人権侵害だ」として都教委に通達を撤廃するよう指導を求めた。だが担当者は「最高裁判決では、都の通達は制約を許容しうる程度の必要性・合理性が認められている。是正要求の予定はない」とかたくなだった。  市民会議は5月下旬、都教委が審査結果への見解などを都議にレクチャーする場に同席した。担当者は「都教委は地方公共団体として、国際人権規約に答える立場にない」という回答に終始したという。

勧告に対する国や東京都教育委員会の姿勢に憤る元教諭の渡辺厚子さん=東京都千代田区で

 これらの場に同席していた市民会議メンバーで元教諭の渡辺厚子さん(73)は「いずれの対応もあまりにも不誠実だった」と憤る。「外務省も文科省も国際的な勧告をないがしろにしており、人権を軽視している」と批判し、都教委には「そもそも自分たちの問題だし、地方自治体は国をつくる一部だ。『国への勧告だから関係ない』というのは詭弁(きべん)にもほどがある」と切り捨てた。

◆文科省「国連はわが国の実情を理解していない」

 「こちら特報部」は5日、関係当局の見解を改めて確認した。  自由権規約委の審査結果について、外務省の担当者は「所管する関係府省庁で十分に内容を検討していく」としたが「法的拘束力を有するものではない」という位置づけをした。和訳の遅れの理由は上川外相の国会答弁と同じ説明だった。  都教委の担当者は「答える立場にない」と、都議に対するのと同じコメントを繰り返した。  先述のILOとユネスコの勧告は文科省が所管する。同省は「わが国の実情や法制について、十分に理解されないまま勧告されている」と反論。「必ずしも受け入れていない勧告の内容だけが広がるのを防ぐため」として和訳もしない考えだという。

◆教員採用試験の倍率は過去最低を更新、定員割れ寸前

 勧告を無視するような行政の態度は、教育現場にも悪影響を与えかねない。  武蔵大の大内裕和教授(教育社会学)は「日の丸、君が代の問題に限らず、教育行政は、教員への締め付けを強め、教育現場の自由が失われている」と指摘する。都教委が昨年度に実施した小学校の教員採用試験の受験倍率は定員割れ寸前の1.1倍にとどまり、過去最低を更新した。首都圏の他自治体と比べても低迷した。  大内氏は「教員不足の理由として長時間労働の問題がよく取り上げられるが、通達にみられる現場への締め付けも教員不足の一因になっている」とみる。その上で「教員不足は、教育の質の低下にもつながる。教える側の教員に自由がないのに、子供の自由な思考なんて伸ばせない」と懸念する。

入学式で君が代を歌う小学生

 人権法の専門家も行政側の「不作為」を批判する。明治学院大の阿部浩己教授(国際人権法)は「自由権規約委の勧告は、日本が自由権規約を誠実に遵守する義務を履行する上で、地方公共団体としても当然に考慮を求められる。『我関せず』という態度は、条約など国際法を日本の国内法として扱うよう求める日本国憲法や国際法秩序に背を向けるに等しく、看過できるものではない」と力を込める。

◆安倍政権は国際人権勧告に「法的拘束力はない」と…

 東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)も国や東京都の姿勢を「全く対応していない」とバッサリ。「文科省は『自治体の問題である』と言い、都教委は『政府への勧告である』と言うが、ただのごまかしだ。主権国家は統一した対応を取らなければならない。ILO、ユネスコに加え、国連の委員会からも勧告が出されたことは重要で、日本の対応が国際社会では通用しないことが再確認された」と強調する。  前田氏によると、かつては日本政府も国際機関からの人権上の勧告に対して、問題の改善に力を注いできたという。精神障害者の人権擁護をうたう精神保健法の成立や、ドメスティックバイオレンス(DV)、セクシュアルハラスメントに対する法規制などだ。だが「2013年、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる国連人権機関の勧告に対し当時の安倍政権が『法的拘束力はなく、締約国に従うことを義務づけているものではない』と閣議決定した。これ以降、国際人権勧告に対して明らかに後ろ向きになってしまった」と嘆く。  「先進国としてこうした日本の対応は問題だと指摘されてきた。いわゆる先進国として、『自由や民主主義という普遍的価値を共有している』と政府は言う。だが、本当にそうか。自由で民主的な国家に必須の人権を守る努力を日本はしなくなったように見える」

◆デスクメモ

 都教委は思考停止も甚だしい。国際的勧告に対して当事者じゃないと横車を押して、逃れようとする。議論を避ける一方、規則を押しつけ処分を振りかざす。誰がそんな強権的、全体主義的な場を好むだろうか。教員不足の原因の一端に政治におもねる教委の姿勢があるのは明らかだ。(北) 

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