佐藤首相が沖縄訪問、返還に意欲
1965(昭和40)年 沖縄返還を重点政策に掲げていた佐藤栄作首相(1901~75)が、21日までの3日間、現職の首相としては戦後初めて沖縄を訪問。那覇空港到着時の演説で「沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらない」と述べ、意気込みを示した。
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その他の出来事
労組の全国組織・産別会議が発足
1946(昭和21)年 全日本産業別労働組合会議(産別会議)が、電産、国鉄、鉄鋼、機器、全炭など21単産、組合員163万人をもって結成された。産別会議は当時、組織系統では左派のナショナルセンターの位置にあり、右派の日本労働組合総同盟(総同盟、組合員85万人)をしのぎ、労働立法の制定、最低賃金制の確立、労働協約の締結など日本の労働運動をリードした。しかし、共産党の影響を排除しようとする動きや連合国軍総司令部(GHQ)の右旋回で組織が弱体化し、1958年に解散。
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