日本ラグビー初の国際試合開催
1901(明治34)年 日本ラグビー史上初の国際試合が横浜で行われ、慶応大学チームが外国人クラブチーム「YC&AC」に5対35で敗れた。日本人がラグビーをプレーしたのは1899年秋、東京・三田の同大学に赴任した英国人英語講師のE・B・クラークが学生に教えたのが最初とされる。
関連記事
- 世界の大物プレーヤーが大挙参戦! 3年目のリーグワンの見どころと日本ラグビーの野望
- ラグビーW杯総括:南アフリカ優勝に見た世界ラグビーの新潮流と日本代表の課題
- ラグビー熱をもう一度!「トップリーグ」から名称変更、前途多難の船出となった「リーグワン」の1年目を総括する
- 海外ビッグネームに、躍進する若手。時代の変革期にあるラグビートップリーグ2021を見逃すな
その他の出来事
長崎市と米・セントポール市が日本初の姉妹都市提携
1955(昭和30)年 長崎市が米国ミネソタ州の州都・セントポール市と姉妹都市提携。日本における姉妹都市提携の第1号。
長嶋茂雄選手、巨人入団発表
1957(昭和32)年 プロ野球・巨人が、立教大学・長嶋茂雄内野手の入団を発表。長嶋は当時の東京六大学記録を更新する8本塁打を放つなど、人気と実力を兼ね備えた選手だった。背番号は、名手・千葉茂から受け継いだ「3」。
関連記事
- 国民栄誉賞 受賞者一覧
- 野球伝来150年:ウィルソンから大谷翔平まで
- 大谷翔平が好きすぎる!―好きなスポーツ選手調査 : 男女・全年代で圧勝
本島等長崎市長が天皇の戦争責任に言及
1988(昭和63)年 長崎市の本島等市長が市議会で、日本共産党議員の質問に答える形で昭和天皇の戦争責任について言及。
関連記事
- 象徴天皇:時代とともに移り変わる国民統合の意味
- 日本占領がもたらした「負の遺産」
- 2014年に逝った人たち
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。