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カムカムエヴリバディで岡山県人を演じて
祖母・母・娘の親子三代の人生を描いた連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」。岡山も舞台のひとつになりました。主人公・安子の父・和菓子職人の金太を演じた甲本さん。岡山のことばを生かした演技は見る人の心を打ちました。
(塩田)
カムカムエヴリバディの話が来たときは、どんな思いでした?
(甲本さん)
やったー!ですよ。やったー!岡山を題材にしたその朝ドラに自分が触れられるんだっていうことで、やったー!という感じでした。家族も「あんた、出るんかなぁ!」と。
(塩田)
カムカムエヴリバディの演技では悩んだり苦しんだりということはあったのですか?
(甲本さん)
岡山県人役というのに悩みました。
(塩田)
でも、もともと岡山の人では?
(甲本さん)
なんか「俺」じゃねぇ?と。「俺」が出てしまいそうで。僕は、生まれ育ったことばだし、当たり前に出てくる。すると、他の人との差を生んでしまうのではと苦しかった。何か違うんじゃないか、逆に僕が違うんじゃないかとなるような気がしていました。だから、どうやったらみんなにちゃんと合うんだろうかと。他県の出身の人が岡山のことばをマスターして芝居としてやろうとしていることにどれだけ近づけるかということの加減が難しかったですね。
朝ドラの演技を見て、三谷幸喜さんが…
甲本さんは、三谷さん率いる劇団・東京サンシャインボーイズで俳優人生をスタートさせました。甲本さんのことを「雅裕」と呼んでいる三谷さんにも話を聞きました。
劇団が活動を休止していた約30年の間にいちばん成長したのは「雅裕」ではないかと話す三谷さん。「カムカムエヴリバディ」の演技を見て、甲本さんにメッセージを送ったそうです。
(三谷さん)
劇団がなくなってからもそれぞれ活躍しているのを見るのが楽しみで、いい芝居やいい演技を見たら、メールをするようにしているんです。彼が、朝ドラですごくいいお芝居をされたときは、感無量で、ちょっと涙ぐみました。ああ、こんなにいい芝居をするようになったんだ、そこが本当にうれしくて、たぶん、すぐその時メールした気がします。
三谷さんからのメールを読んで、甲本さんは…?
(甲本さん)
僕、それはしっかり覚えてる。
車を運転しとって、高速のサービスエリアに着いたときに着信音がピンポーンって鳴って、ぱっと見たら「三谷幸喜」。何が起きた?俺、何かやった?何だろうって思って開いたら「金太、最高!素晴らしかった!」と。一瞬、違うよな?これ間違いよなって思ったけど、しばらくたってから、ちょっと泣きました。
やっぱり僕の芝居の原点。三谷さんがいなかったらここに存在してないぐらいに思っているので。「素晴らしかった!金太」と書いてくれて。泣きますよ…。
原点は剣道 “負け”から学んだ“一生懸命”
小学校から大学まで剣道一筋だった甲本さん。高校時代には、国体に岡山県代表として出場するほどの腕前でした。約40年ぶりに訪れた母校で語ったのは、高校時代に負けた試合のこと。その“負け”から学んだことが、いまの俳優人生を支えているといいます。
(甲本さん)
身が引き締まりますね。1年生の時の気持ちに戻ります。
(塩田)
3年生に戻るんじゃなくて、1年生に戻るんですか?
(甲本さん)
1年生に戻ります。
(塩田)
今でも心に残っている試合というのはあるんですか?
(甲本さん)
インターハイの予選の決勝だったと思うんだけど、僕がその大会2日ぐらい前にちょっとしたことでけがをしてしまったんです。始まって早々に僕は1本取ったんですよ。剣道というのは2本取ったら勝ちなんですね。だから、あと1本!と思ったときに、何を思ったか「俺、2日前にけがしたんじゃった」と、何か自分の体をどこか気づかったんです。その瞬間に2本取られて負け、インターハイを逃してしまったという経験があって、それをずっと引っ張ってしまって。
今、やっているときに、やっていること以外のことを考えんでもええ。でもそこで気づけなかった。結局、大切だったのはそこに挑む前に、自分が何をしてきたのかということ。毎日のように朝から晩まで稽古をやってきた。やっぱりそこがすべてだったんだなって。
勝つのは結果でしかなくて、結果は誰にも分からないから、その以前が大切なんだなというのが、社会人になっても、より分かるようになって。振り返ったときに、あの時に負けたことは貴重な経験だったなって思えるようになった。
俳優人生を支える “一生懸命”
(塩田)
剣道で稽古を積んできたことの中で、今、役を演じるうえで生きていることはありますか?
(甲本さん)
ありますよ。家で本を読みながらお芝居のことを考えて、こうやってみようとか考えて、本番の前に捨てるっていうのが僕たちの芝居というものだと思うんですね。要するに、練習してきたことを覚えていても、練習どおりなんてスポーツの世界でも絶対できるもんじゃないんです。でも、それが無意識になったときに出るから、勝てるんですよ。
だからどれだけ本番の前に頑張るかってこと。スポーツもそうだし、芝居も本番の前までさんざっぱらどう考えるのか。そして、本番でどう忘れて、がむしゃらに向かっていけるのかにかかっているのかな。たぶんきっと体も脳みそも自分がそれまでに考えてきたことは、きっと忘れないんだと思うんですよ。忘れても毎日やったことはきっと染みついている。
(塩田)
そう考えると役を演じることと剣道に打ち込んできたことは、似ていますね。
(甲本さん)
そうですね。僕はなんかもう、青臭いかもしれんけど、一生懸命を忘れたら終わりじゃなぁって思いますね。もう、月並みかもしれんけど、一生懸命ということばは、とにかく生きていくうえで絶対に付きまとってなきゃいけないものだなって、僕は思いますね。
俳優目指し東京へ 三谷幸喜さんとの出会い
大学卒業と同時に剣道から離れ、アパレルメーカーに就職した甲本さん。仕事漬けの毎日でしたが、レンタルビデオで映画を見るうちに、そこで活躍する俳優への憧れが芽生えました。
上京し、甲本さんが出会ったのが脚本家の三谷幸喜さんでした。そして、三谷さんが率いる劇団・東京サンシャインボーイズに入団。俳優人生をスタートさせました。
(塩田)
どういう経緯で役者の道に?
(甲本さん)
同じ役者仲間の梶原善が岡山の同級生で、「暇なんだったらちょっとわしの入ってる劇団の荷物手伝ってくれぇや」って言ってきたんです。そこで、荷物を運ぶなど、いろいろやっていたんです。その中で、劇場に置くポストを一緒に作っていた人が三谷幸喜さんだったんです。そして、三谷さんはその劇団の主宰者だった。
そして、梶原善が「何かやりに来たんだったら、わしらより三谷さんのほうが知っとると思うから、電話せられぇ」と三谷さんの電話番号をくれた。誰か分からんけどと思いながらも、次の日に電話したら、あっ、ポスト一緒に作った人の声と一緒じゃと思って。そして「実は、僕は役者になりとうて出てきたんですけど…」って言ったら、三谷さんに「僕ね、来月、劇団で芝居やるけど出る?」って言われて、出ることになったんです。
(塩田)
演じられた手応えというのはどうだったんですか?
(甲本さん)
手応えなんかないですよ。その時はもう何も考えられてないですよね。
でも、演じ終わって、自分たちで設置した舞台や装置を自分たちでバラしてるときに泣けてきたんですね。涙がボロボロ出てきて「なんじゃろう、この涙は」と思っていたんです。よく考えたら、みんなで一生懸命稽古をして、稽古中に舞台セットをみんなで夜に作って、運んで、1週間という短いスパンで粉々に壊して。その時に「もうなくなっちゃうんだ」と思ったんです。だから「もう1回やるんじゃ。もう1回あれを感じたい!」と。そこだけは演劇の何かを感じたような気がしてるんです。
(塩田)
三谷さんとの出会いの中で学んだことはどんなことですか?
(甲本さん)
それは、日々の僕の芝居だと思います。いつも僕の体のどっかにあって、芝居を一生懸命するときに、どこか僕のこの脳みそにある三谷さんとの出会いが、三谷さんの作品をやっていた自分がどっかにあって、新しいものと出会ったときにも活用されていて、だから数字で表せない。
だから僕は何をやってきたかっていうより、何をやっとるかがすべて。今やっていることに新鮮に向き合うことの中に、やってきたことがもしかしたら入っとるかもしれん。
30年ぶりに復活する東京サンシャインボーイズ!
約30年、活動を休止していた東京サンシャインボーイズが2025年に復活することになりました。もちろん、甲本さんも出演予定!久しぶりの三谷さんの舞台ですが、臨む気持ちは、これまでと変わらないと話します。
(甲本さん)
別に30年どうでもいいと思う。毎回はじめましてのものと僕たちは対じしとるから。
30年がどうなのかどうでもよくて、これから始まることにワクワクしたい。ドキドキしたいし。不安も感じるし、怖ぇとも思うし。全部を感じたい。全部を感じると思うし。その中で一生懸命やるだけかな。
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連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」
毎週月曜日から金曜日 午後0時30分から
15分×全112回・総合テレビ
NHKプラスでもご覧いただけます。
甲本さん演じる金太役も必見です!!
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