日米貿易摩擦の緩和を目的に、トヨタが大盤振る舞いで販売をスタートさせたキャバリエ。導入背景には政治色もあるのだが、実際にキャバリエを販売していた営業マンの中には、OEMに信頼を置けなくなった人がいるなんて話も飛び出した。ちょっと罪作りなクルマ、キャバリエを振り返っていく。
文:佐々木 亘/写真:トヨタ
■トヨタの技術が入りすぎなOEM
トヨタ・キャバリエは1996年から2000年にかけて販売されていた、シボレー・キャバリエのOEMモデルだ。基本的にはバッジエンジニアリングモデルで、セダンとクーペが導入されている。
デザインはシンプルだが、カッコいい。特にクーペはグリルレスなフェイスが良く似合い、美しいボディラインを作り上げていると思う。街中を走っていれば、目立つこと間違いなしだ。
輸入車OEMだから、ハンドルは右に変わっているのは当然なのだが、ウィンカーとワイパーレバーの位置もJIS規格に変更しているのはさすがトヨタ。
柔らかすぎる足回りを、日本の道に合わせて変更したり、低回転域で大きなトルクが出るように、エンジンもリセッティングしていたりするから、シボレー版キャバリエとはクルマの素性が大きく変わっている。
さらにアフターサービスも、トヨタらしく充実させた。アメリカオハイオ州のGMローズタウン工場からトヨタの田原工場へ運ばれたキャバリエは、納車前点検からアフターサービスまで、トヨタの厚い信頼のもとで管理されている。
他のトヨタ車と同レベルの長期保証や、1000を超えるキャバリエ取扱店がサービス網となる安心の対応だ。
整備機器にはGMの診断システムをわざわざ導入し、専用工具もそろえた。整備技術も新しく習得し直し、部品もアメリカからの調達時間を考慮して、多くの部品をトヨタ部品共販に在庫している。
クルマにアフターサービス、さらには輸入車としては異例の低価格戦略も取ったのだが、販売は目標販売台数の半数以下にとどまったまま、上向くことは無かった。ただ、売ってしまった営業スタッフにとっては、納車後も大きな悩みの種になるクルマでもあったのだ。
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■米国と日本の道路事情やクルマに求める価値観の違いが売り手を悩ませる
トヨタが手を加えて販売していたキャバリエだが、それでもアメリカ的なクルマの作り方が、日本にはマッチしなかった。
特にクルマの基本性能である「走る・曲がる・止まる」のうち、「曲がる・止まる」に難を持っていたのは営業マン泣かせと言えよう。
まっすぐだが荒れた路面を走ることの多いアメリカでは、多くのクルマの足回りが柔らかい。キャバリエもこの特性を持っており、トヨタが手を加えたのだが、コーナリング時のロールの大きさは、いかんともしがたい状態だった。日本の市街地を走るには、なかなかに忍耐の必要なクルマである。
また、緩やかすぎるブレーキの効きにも、多くの不満が出たという。
低回転域で太いトルクを発生するエンジンだから加速が良く、なおさらブレーキを使う頻度が多くなるのだが、これが結構奥まで踏まないと、しっかりとした制動力を感じられないため、ドライバーとしては「止まらない」ように感じてしまう。
特殊なブレーキ特性が原因かブレーキパッドの減りも早く、ローター交換も頻発した。輸入車OEMだし、そもそもこういう仕様なのだが、安定のトヨタ車に乗っていたユーザーとしては、故障や不具合と感じてしまうことも多く、担当営業マンは頭を抱えていたらしい。
OEM(いわゆる他社モノ)を嫌いになり、OEMというだけで「売ったら恐ろしいことになる」とアレルギー反応を起こしてしまう営業マンを生んでしまったキャバリエ。販売現場から見ると、なかなかに厳しいクルマだった。
各所を褒めちぎっている当時のカタログとのギャップがすさまじい。ただ、このクルマが無かったら、自動車産業は貿易摩擦により、少しずつ衰退していったかもしれないのだ。
立場によって、大きく評価が変わるクルマ。それがキャバリエという迷車の特徴なのかもしれない。
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