FC3S型サバンナRX-7は1985~1991年までの間に約27万2000台を販売。そのスペシャルモデルが「アンフィニ」だ。専用設計パーツを多数装着し、多くのファンから愛されたが、当時所有していたBC編集部員がその思いの丈を吐露する!

文/ベストカー編集部・飯干俊作、写真/マツダ、ベストカー編集部

150万円で、突如スーパーカーを手に入れた!

1985年に登場した2代目FC型サバンナRX-7

 つい最近、街中で程度極上と思われるFC3S型サバンナRX-7アンフィニを見た。かつての愛車だ。久しぶりに見て、いろんなことを思い出したので書き連ねてみたい。

 FC3S型RX-7はSA型、FC型、FD型と3代続いたマツダロータリースポーツRX-7の2代目で、1985年から1992年まで販売された。

 アンフィニというのはその特別仕様車で、1986年の「アンフィニ1」から1990年の「4」まで、ほぼ一年に一度のペースで登場していた2シーターの限定車だ。4世代で3300台を販売したとされる。

 私が乗っていたのは最初の1型。ベストカー編集部の先輩が購入して乗っていたのを譲ってもらった。確か1990年頃で、相場よりかなり安く、150万円で売ってもらったのを覚えている。いい人だなぁ。

 そこまでの車歴は大学時代に先輩に3万円で売ってもらったケンメリ(C110型)スカイライン、別の先輩にタダでもらったKP61型スターレット、実家で使わなくなった6代目(BF型)ファミリアというもの。

 こうして並べてみると、昔は「先輩や実家からクルマを譲ってもらう」のがふつうだったんだなあと思う。若い世代にとって、クルマは回り巡ってくるもので、店で買うものではなかったということだ。今はどうなんでしょうね?

13B型2ロータリーエンジン

 それはさておき、それまでの車歴に比べると、RX-7アンフィニはスーパーカーみたいなもの。最高出力185ps/最大トルク25.0kgmの13B型2ロータリーターボエンジン、エンジンをフロントミドシップに搭載して理想的な前後重量配分を実現したFRレイアウト、何より2シーターというのがスペシャルだった。

記事リンク

前の記事

こっそりトヨタや日産も作ってた! まだまだいくぜ! ロータリーを諦めないマツダに大拍手だ!

次の記事

こんなクルマよく売ったな!! 【愛すべき日本の珍車と珍技術】 ロータリー復活に沸く今 改めて4ドア4シータースポーツカー「RX-8」を振り返る!

「ダンボールでできているのか!?」その軽さが最高だった!

FC3S型2代目RX-7の軽量さは大きな武器だったのだ!(写真は後期型)

 その走りをひと言に集約すると「すべてが軽かった」ということになる。このクルマに関しての記憶はいくつもあるのだが、ひとつ強烈なものがあって、それはポルシェ911(930型)の撮影に愛車のRX-7で行った時のこと。数時間、この911に乗って愛車に乗り替えたら、ボディ剛性のあまりの違いに驚愕したのだ。

 心もとないなんてものではない。冗談ではなく、「俺のクルマ(RX-7)はダンボールでできている」と感じた。1980年代後半生まれのポルシェと国産スポーツカーのボディには天と地ほどの差があったのだ。

 乗り替えた直後のネガティブな感情は強烈だったのだが、30分ほど走っていると、逆にその軽さ(軽薄さと言ってもいい)が心地よくなってきた。

FC型RX-7後期型のインテリア。硬派な雰囲気だ

 クラッチ、シフト、ステアリング、ボディのすべてが軽く、まったく気を遣わずに、歩いているように運転できる。その感覚がすごく楽しくなってきたのだ。

「戦車のようなポルシェ911」と「バイクのようなRX-7」。あの時の両車の違いは、そう表現するのが最も的確な気がする。個人差や走る場所によっての違いはあるだろうが、私には戦車よりバイクが何倍も楽しかったというわけだ。

■「俺のセブンは最高だった!」というしかない

1989年のマイチェンで後期型FC型RX-7は最高出力がそれまでの185psから215 psにまでアップ

  13B型ロータリーエンジンは、とにかく軽快に回り、EVが珍しかった当時はよく「モーターのように回る」と言われたものだ。

 私に言わせると「モーターのように回り、モーターよりエモい」ということになるのだが、この軽い回り方もクルマ全体の軽さに貢献していたように思う。

 今だと「わずか」といわれそうな185psの最高出力でも不満なし(最終型は215psまでアップした)。ロータリーの弱点である極低速トルクの細さはあったが、そこで一拍ためてからの加速フィールが劇的で、とても気持ちよかったのだ。

後継のFD3Sは3ナンバーになっただけに5ナンバーサイズのFCはまた独自の魅力を放つ

 全長4310×全幅1690×全高1270mmの5ナンバーサイズでFRの本格スポーツ。当時の新車価格は278万8000円だった。

 今思うとホントに夢のような話だ。約40年前にはそんなクルマが実在していたのだ。しかも、私はそれを当時150万円で買って楽しんでいたのだから、幸運だったというしかない。

 市街地での燃費はリッター6kmくらいだっただろうか。最初からそこには期待していなかったし、燃料タンク容量も60L以上あったから不便に思うこともなかった。

むしろ、現在の愛車メガーヌR.S.のほうがタンク容量は小さく(47L)、ガソリンの残量を気にすることが多いような気がする。

ベストカー本誌編集委員の飯干が憧れていたというFC3S型RX-7のコンバーチブルモデル

 ああ、記憶を辿っていくと際限がなくなる。この型のRX-7のコンバーチブルに憧れたが手が届かず、最後の限定車「ウイニングリミテッド」(1991年のル・マン24時間レース優勝記念車)を買うかどうか大いに迷ったものの、「さすがに同じクルマに買い替えるのはいかがなものか」と自制した思い出もある。このウイニングリミテッドは229万8000円と、当時としても破格の安さだったのだ。

「おれのセブンは最高だった」というしかない。作ってくれたマツダの皆さんに深く感謝である。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。