いすゞ自動車のルーツは、東京石川島造船所自動車部、東京瓦斯電気工業自動車部、快進社自動車工場の発展会社と実用自動車製造の合弁会社であるダット自動車製造に端を発する。この3社が段階的に合併し、いすゞ自動車株式会社が誕生した。

三樹書房は『いすゞ乗用車の歴史』の新装版を刊行した。『ジェミニ』誕生50周年を記念したもので、いすゞ自動車が開発した個性的な乗用車について、当時のカラーカタログ600点以上を収録し、その変遷をたどる内容となっている。

1853年、米国のフィルモア大統領の親書を携えたペリー提督の黒船が浦賀沖に来航した年に、徳川幕府は東京・石川島(現:中央区)に造船所を設立した。明治維新後、明治政府は旧幕府や諸藩から継承した軍需工場や鉱山を官業として育成し、民間に貸与、払い下げた。石川島造船所も1876年に民営化され、1889年に有限責任石川島造船所に改組、1893年に株式会社東京石川島造船所となった。初代取締役会長は新1万円札の渋沢栄一であった。

1914年の第1次世界大戦勃発以来、日本の経済は好景気となり、特に海運業と造船業が恩恵を受けた。東京石川島造船所は戦後の反動不況に備え、新規事業として自動車生産の計画を立てた。1920年に東京・深川区(現:江東区)に深川分工場を新設し、1922年の大晦日に1号車が完成した。しかし1923年の関東大震災で工場は甚大な被害を受け、一時は自動車事業撤退も検討されたが、1924年に造船所本社敷地内に自動車工場が再建された。

1929年5月、自動車工場が独立して株式会社石川島自動車製作所が設立された。関東大震災は日本における自動車普及の転機となった。破壊された鉄道、市電に代えて、東京市が米国車を大量輸入して対処した結果、自動車の有用性が認識されたのだった。

東京石川島造船所深川分工場跡地(推測):現在の東京都江東区森下、小名木川北岸、写真右手。大富橋から隅田川方向を臨む

本書は2017年刊行の『いすゞ乗用車 1922‐2002』が底本だ。書名を『いすゞ乗用車の歴史』に変更して2020年に増補二訂版を刊行している。ジェミニ誕生50周年と社名のいすゞ自動車改称75年を迎えるにあたり、カバーデザインを一新して愛蔵版として刊行した新装版となる。

『いすゞ乗用車の歴史』

いすゞ乗用車の歴史
著者:当摩節夫 
発行:三樹書房
体裁:B5判・上製・168頁(カラー104頁)
定価:4400円(本体価格4000円+税10%)
発売:2024年7月30日

目次抜粋
いすゞ自動車の歴史
カタログでたどる いすゞの乗用車たち
第1世代ヒルマン/第2世代ヒルマン/ベレル/ベレット/フローリアン/117クーペ/第1世代ジェミニ/第1世代ピアッツァ/PAネロ・第2世代ピアッツァ/第1世代アスカ/第2世代アスカ/第3世代アスカ/第4世代アスカ/第2世代ジェミニ/第3世代ジェミニ/第4世代ジェミニ/第5世代ジェミニ/ジェミネット/ジェミネットII
モーターショーで配布されたコンセプトカー・ショーモデルの資料
年表
いすゞ自動車のルーツ
いすゞ自動車の広報施設「いすゞプラザ」

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