R35GT-Rプロトタイプが登場した2005年9月の東京モーターショー。その登場を記念してベストカー2005年12月10日号では渾身のGT-R特集を組んだ。ここではハコスカ4ドアGT-R、ハコスカ2ドアGT-R、ケンメリGT-Rの開発主管櫻井眞一郎氏。R32GT-Rの開発主管伊藤修令氏、そしてR33GT-R、R34GT-Rの商品主管渡遅衡三氏の3氏にいまだからこそ話せる秘話を、2005年11月頃に取材して記事化した内容をお届けしよう。

文まとめ:ベストカー編集部/写真:ベストカー編集部、日産

■スカイラインの父、櫻井眞一郎氏が語る開発秘話

櫻井眞一郎氏。R31までの7世代にわたるスカイライン、ハコスカGT-R、ケンメリGT-R、第1世代のGT-Rの開発主管だった。1994年にはS&Sエンジニアリング代表取締役(編集部註:2011年1月17日81歳逝去)


●KPGC10は2ドアじゃない。ショートホイールベースだ

 まずはスカイラインの父、ミスタースカイラインと言われた櫻井眞一郎氏。

 ハコスカというのはちょうどプリンスと日産が合併した時に開発中だったんです。試作車まで出来上がってましてこれが実にいい具合でした。いっぽう、日産ではブルーバード(510)が開発中でした。

 そこで、両者で話し合いをして、ブルーバードはファミリーセダンとして世に出すことになりました。その結果、私たちのスカイラインは徹底的に走りの性能を追求しようということで作りました。

R380と併走するPGC10ハコスカ4ドアGT-R

 スカイラインというのは、あくまで運動性能の優れたセダンであり、4ドアなんです。ですから、ハコスカ2ドアGT-Rも4ドアがベースなんです。

 しかし、私たちが理想とする走りを追求していくと、ホイールベースを短くする必要があった。そこで、レギュレーション上許される後席スペースが確保できる、ギリギリのホイールベースまで切り詰めたんですね。そうしたら2ドアになっちゃったんですよ。

2ドアハードトップのKPGC10


●ケンメリは商品、ハコスカは作品、両車は対極に位置する

 ハコスカは自分たちの作りたいスカイラインを作ったんです。おかげさまで外の評価は物凄い高いものでした。しかし、昨日免許を取った初心者や女性には乗れるクルマではないとずいぶん言われました。

レースに出ることもなかったKPGC110

 特にプリンス系の販売店からはもっと売りやすいクルマをいう要望が強かったですね。合併直後でしたから販売店としても主力のスカイラインをもっとうりたかったんでしょう。

 そこで4代目のケンメリは「よし、わかった」と売れるクルマを作ったわけです。技術屋としては不本意でしたが。結果は、ご存じのとおり、歴代スカイラインのなかで一番売れてしまいました。

 ハコスカGT-Rは走りというものを徹底的に追求しました。ケンメリGT-Rは商品としてのクルマを徹底的に追求したクルマがべ―スなのでハコスカとはフィロソフィが違うんです。

●教科書は自然の摂理。4WDもABSもHICASも馬がヒントになった.

 クルマというのは、4つのタイヤで動くものです.だから私は、クルマというのは動物の動きから学ぶべきだと思っているのです。馬事公苑によく行きましてね。馬の走りというか動きを研究しました。

 私が後輪駆動にこだわったのもそこなんです。馬は、走る時に後ろ足で強く蹴りだします。だから、クルマも後輪で蹴りだすべきと。しかし、ある時、馬が走る時は前足も上手く使っていることに気づきました。

 そこで、後輪駆動ベースの4WDを思いついたのです。DR30スカイラインを開発している時でした。開発には時間がかかり、採用できたのは8代目のR32スカイラインからです。

 ABSも同じです。馬事公苑で障害物を越える時の馬を見ていた時です。障害物の手前で急制動をかける時、馬は4つの足で微妙に姿勢をコントロールするんです。それでABSを思いついたんです。HICASは競馬場の馬でした。競馬場のコーナーを走るとき、馬は後足も前足と同位相で蹴りだしているんです。

 それでHAICASは同位相になったんですね。クルマ作りっていうのは神が創った自然の法則に学ぶべきだと思います。

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■BNR32開発主管、伊藤修令氏が語る開発秘話

1942年9月生まれ。R32スカイラインの実験主担を経てR33、R34スカイライン、GT-Rの商品主管を務める。現在はNISMOの常務取締役を務める(編集部註:取材当時)


●16年ぶりに復活したGT-Rのバッジにまつわる秘話

 私は櫻井さんが入院したことによって途中からR31スカイラインの開発主管になったわけですが、4ドアの発売を控えた1985年6月に2ドアのフルサイズモデルが出来たんです。その時、グリル中央とテール部分にGT-Rのバッジが付いていました。

 R31の4ドアがデビューした時、マスコミのみなさんから「エンジンもデザインもダメ」などと、こてんぱんに言われましてね。2ドアも重いし、大きいし、ほかのクルマとどこが違うのか? ちょっといいくらいではダメだと思いました。

 それでクルマの実力とGT-Rのネーミングの重さを考えてR31の2ドアクーペからGT-Rバッジを外じGTSという名称に変更しました。でもこの時からGT-Rは次期型(R32)で復活させるぞと心に決めていました。

 翌1986年初めにはGT-Rの開発構想を考えていましたが1986年上半期には会社が創業以来の赤字になったこともあって、なかなか言い出せませんでした。そしてR32の商品化を決定しなきゃいけない1986年7月に初めてR32GT-Rの開発計画を役員に告げて決まったわけです。

 その時もまだGT-Rという呼称ではなく、GT-X。こうして紆余曲折の後、1989年2月に全国のディーラーを呼んで見せたのですがその時の資料でもGT-X、馬力は270ps以上にしていました(笑)。こっそり展示した実車にはGT-Rのエンブレムを付けてはいましたが……。

R32GT-RにATがあったらどうなっていたのだろうか?


●R32GT-RはATも作るつもりだった

 これからの時代、高性能車にもATが必要だと考えていたので開発当初はAT搭載も考えていました。RB26DETT型2.6L、直6ターボの出力は300ps/35kgmを目指した段階でMT、ATともに一段上のものに変更しました。

 でも開発には相当多くの時間と工数がかかるため、開発はMTに集中させ、ATの開発はほとんどしませんでしたね。ポルシェのティプトロニックみたいなATをやりたかったんですよ。

■BCNR33/BNR34商品主管、渡辺衝三氏

1942年9月生まれ。R32スカイラインの実験主担を経てR33、R34スカイライン、GT-Rの商品主管を務める。現在は
NISMOの常務取締役を務める(編集部註:取材当時)

●R33ではトランク容量の確保がテーマのひとつ。でもバッテリーをトランクに設置

 もともと8代目のR32ではスカイラインの特徴を思い切り表現しよう、そして低下した走りのイメージを取り戻そうと企画したんですね。そしてR33以降では居住性といったセダンに要求される部分を充実させていこうという計画だったんです。

 特にR33ではR32で指摘されていたトランク容量の確保が重要なテーマだったんです。しかし、R32で受けた曲がらないという評価を少しでもよくしたかった。そこで、重量配分の改善のためにバッテリーをトランクに設置したわけです。走りのよさを貫かなければなりません。だからあえて意欲的なチャレンジをしたんです。

ボディが大型化されたR33GT-R

●R33GT-Rでは北米輸出仕様も検討し断念

 ご存知のとおり、R33GT-Rは英国に100台輸出しました。実は、英国のBBC放送のトップギアという番組でGT-Rが紹介され話題になりました。そして欧州国産から強い販売要請があり、これに答えたのです。

 その後、当時の塙社長から、北米輸出も検討せよとのオーダーを受けたんです。ただし北米は左ハンドルでなければなりません。ハンドルを左に持ってくると、GT-Rはツインターボですから、ステアリングシャフト後ろ側のターボに近くなり、熱的な問題があったんですね。

 それでシングルターボにするかという案もあったんですが、それでは、GT-Rではないだろうということでこれは断念しました。

2002年、1000台限定で販売された最終記念限定車VスペックIIニュル、Mスペックニュル。今や程度のいいもので5000万円オーバーともいわれる

●R34ではV6搭載車も検討

 R34の開発をしている時に、日産の先行開発グループが、新型V6を搭載したFRの試作車を作ったんです。しかも、フロントミドシツプでした。これをテストコースで乗ってみたところ回頭性がよくて実に具合がいいんですよ。

 それで、真剣にV6搭載を考えました。しかしFR車だけならR34としてこの新型V6の搭載も可能だったんですが、GT-Rの4WD車まで含めるとなると、相当な開発期間が必要だったんですね。とてもR34GT-Rでは間に合わないレベルでした。

 GT-R抜きでR34スカイラインは考えられませんでしたから、かなり悩みましたね。結果的に直6のGT-Rを磨き込む決心をしたのです。V6は次の世代に任せるという決断です。(編集部註:2001年6月発売のV6、フロントミドシップレイアウトのV35スカイラインにつながっていく)

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