世界的に見ると、道路は右側通行が多数を占め、左側通行は少数派と言われている。日本は後者の一つであるが、他にどの国や地域が左側通行を採用しているのだろうか…ざっくり調べてみた。

文・写真:中山修一
(クルマの左側通行にまつわる写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)

■右側通行 vs. 左側通行

右側通行の国はバス停留所の乗降位置が日本と左右逆になる

 全世界193カ国と38地域、合わせて231の国と地域の交通ルールを抽出して、道路の右側通行/左側通行どちらを採用しているかチェックした。その結果……

・右側通行:166(72%)
・左側通行:65(28%)

……といった割合になった。7割以上が右側通行で、やはり左側通行は少数派で間違いなかった。

■左側通行に深く関わる国

 今にも右側通行に駆逐されそうな数の少なさながらも、左側通行が根強く残っているのには理由がある。その国や地域が左側通行になった、最たる要因に挙げられるのが「英国」の存在だ。

 ご存じの通り英国は昔から左側通行を採用している。これは馬車を操縦する際、ムチを左手で持つ御者が多く、広い道で左側を走ると、馬車同士がすれ違う際もムチを振るスペースが取れて都合が良かったためらしい。

 19〜20世紀にかけての英国は、超大国として世界で旗を掲げた歴史を辿ったのは周知の通り。2024年現在も左側通行を維持している国や地域の大半は、英国の強い影響下に置かれていた時代の名残と言える。内訳は以下の通り。

【英国の影響を受けた国や地域】
(★)英国、アイルランド、アンティグア・バーブーダ、インド、インドネシア

ヴァージン諸島、ウガンダ、エスワティニ、オーストラリア、ガイアナ、キプロス

キリバス、グレナダ、ケイマン諸島、ケニア、ザンビア、ジャマイカ、シンガポール

ジンバブエ、スリランカ、セーシェル、セントクリストファー・ネイビス

セントルシア、ソロモン諸島、タークス・カイコス諸島、タンザニア、ツバル

ドミニカ、トリニダード・トバゴ、トンガ、ニュージーランド、パキスタン、バハマ

バルバドス、バングラデシュ、フィジー、ブータン、フォークランド諸島、ブルネイ

ボツワナ、マラウイ、マルタ、マレーシア、マン島、モーリシャス、モルディブ

レソト、香港、南アフリカ

【英国以外の国の影響を受けた国や地域】
ヴァージン諸島、ガーンジー島、サモア、ジャージー、スリナム

セントビンセントおよびグレナディーン諸島、ナウル、ナミビア

ネパール、パプアニューギニア、ピトケアン諸島、マカオ

モザンビーク、東ティモール

【どこの影響も受けなかった国】
日本、タイ

 英国以外では、ポルトガル、オーストラリア、オランダなどの影響もしくは協調により、左側通行になった国や地域があり、影響を与えた国のほうが右側通行に変わっても、大元に合わせず左側通行のままになっている。

 また、はじめは英国の影響によって左側通行だったものが、一時期だけ他国の管理下に置かれ右側通行になり、その時代が終わると左側通行に戻した場所もある。

■誇るべき少数派

 英国の影響を直接受けたわけではなく、自ら率先して左側通行を選んだ……そういう国は非常に珍しいようで、実は日本とタイだけ。たったの2国しかない誇るべき少数派だ。

今の日本では車の左側通行が完全に根付いている

 タイは近代化が進められた時代、道路を整備するにあたって当時“最先端”であった、英国のお作法を少なからず参考にしたため、自然と左側通行に決まったと言われる。

 一方で日本はどういった経緯で左側通行になったのか。生理学上の「進左退右」・「起右座左」の考えに基づいている説や、有名な「武士の刀が云々」の逸話は昔から語られているが、どれも嘘か誠かハッキリしない。

■元々はグチャグチャだった?

『広重 江戸名所 永代橋佃島』。徒歩の左側/右側通行があまり徹底されていないのは、今と大して変わらない?

 日本で道路の左側通行が叫ばれ始めたのは1872(明治5)年、当時の東京府が「馬車規則」の中に、馬車は互いに左に寄るよう通達したのが、記録に残っているものでは特に古い。

 その後1881(明治14)年に施行した「人力車取締規則」でも左側通行が原則とされた。しかしこの時代、大阪府では「右を通れ」と通達している場所もあったらしい。

 さらに、当時の軍隊では右側通行を採用していたため、馬車は左を通ってやるが他は問答無用で右を通るぞ、のような論調も強かったようで、左も右も混ざり合ってグチャグチャだったのが実態だったのかも知れない。

■警視庁が決めた現代の左側通行

 その後、公道を往来する車輪付きの乗り物が増えた関係から、交通事故を防ぐ目的で、1900(明治33)年に警視庁が「道路取締規則」を制定した。これに左側通行が含まれており、今日の交通ルールの元になったと伝えられる。

『大東京写真帖(1930)』より。戦前の神保町付近

 制定にあたって深く関わっていたのが「松井 茂」という人物で、1924(大正13)年の警察協会雑誌への寄稿文を要約すると、「以前から左側通行奨励があったのを踏まえつつ、武士道の話も参考にした」といった理由で左側通行を採用したそうだ。

 世界的に見ても超絶に珍しい日本の左側通行。過去の文献を通して、定着までは長く険しい道のりを歩んできた様子が想像できるものの、決定的な理由は意外とアッサリしたものだったらしい。

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