カタクチイワシと塩だけで作る魚醬。手前のたるは仕込んだばかり=神奈川県藤沢市で

 琥珀(こはく)色の液体が香ばしく鼻をくすぐる。神奈川県藤沢市の江の島から1キロほどの相模湾でとれたカタクチイワシを新鮮なうちに塩で漬けて作る鵠沼魚醬(くげぬまぎょしょう)は、凝縮したうま味と塩気でキャベツ炒めのような単純な料理の味もぴしっと決める。  「魚醬は人類最古のうま味調味料ともいわれます。古代ローマでは、塩の代わりに使われていました」と、製造する高橋睦(むつみ)さん(55)。「温故知新の調味料」だと誇らしげに言う。同市の湘南藤沢地方卸売市場内にある「Shoko-Tei」の工房で、妻の美由紀さん(38)と2人で手がけている。  カタクチイワシは、とれたその日に加工する。早朝に漁港から「今日は揚がったよ」と連絡があれば、すぐ取りに行く。漁港までは車で30分ほど。工房に運び、洗って水を切り、たるに塩と詰めていく。昔ながらの天日干しした塩がよく合う。  塩を入れるのは腐敗防止と保存が目的だ。カタクチイワシ20キロに対して塩は5キロ。塩が溶け、塩水に覆われたたるの中で、カタクチイワシは内臓に含まれる酵素が働き、身が分解され、うま味のアミノ酸が生み出される。1年かけて熟成させ、こしてできあがる。  「特別なことはしていません」と言うが、酸化は大敵。そのため、仕込みをするのは、カタクチイワシの脂が少ない4~8月だけにしているという。  製品化したのは2012年。それまで高橋さんが市内の自身のイタリアンレストランで作っていた魚醬を、市が地元の特産品として支援し、形になった。  高橋さんはレストラン開業前、32歳まで旅行会社に勤める会社員だった。海外に行くと、どんな町でもよく名物料理や伝統料理を出す店を見かけた。イタリアでは小さなレストランがアンチョビーなどを作り、店によって違う味をツアー客が楽しんでいた。「食は一番の文化。そこに行かなければ食べられないのが本来の食だ」と知ったと言う。  「何千年も続く食材には人類の英知が詰まっている。その知恵をいただいて、大事にしながら、いいものを作っていきたい」  文・写真 鈴木久美子

◆学ぶ

 魚醬(ぎょしょう)は古くから世界各地にあった。古代ローマで調味料として使われていたことは、レシピ集「アピキュウスの調理書」などから分かる、と「魚醬とナレズシの研究」(石毛直道、ケネス・ラドル著)にある。  同書によれば、日本では秋田のしょっつるや、奥能登のいしりが地方の特産品として生き残った。明治時代以降、大豆のしょうゆを買って料理に使うことが一般化し、各地の魚醬は消滅していったとしている。鵠沼魚醬=写真=は生産量が限られている。問い合わせは、高橋さん=電090(8504)9835=へ。


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