渋沢栄一翁、穂積歌子の写真を前に校歌を斉唱する児童たち=深谷市の八基小学校で2024年7月5日午後2時32分、隈元浩彦撮影

 渋沢栄一の生誕地近くの埼玉県深谷市下手計の八基小学校で5日、渋沢家から寄贈された同校の宝物、栄一翁の大型写真の“秘密”を解き明かす記念式典が開かれた。額の裏に何が書かれているのか確認しようという趣向。はてさて、児童、保護者ら約200人が見守る中、何が飛び出したか。

 正面入り口のガラスケースの中に、登校してくる子どもたちを見守るように掲げられているのが縦約110センチ、横約70センチという栄一翁の大型写真。1926(大正15)年、姿見(大型の鏡)とともに、栄一翁の長女で、同校校歌を作詞した歌人の穂積歌子から寄贈されたと伝わっている。

 今年春のことだ。安全確認のため、写真の隣に置かれた姿見を動かした。すると裏に、寄贈時期とみられる「大正十五年十二月」の年月と、栄一翁の妻兼子、そして歌子ら渋沢家の女性8人の名前が書かれていた。

 では、写真の額の裏には何が――と、取材意欲を燃やしたのが嘉藤央(かとうなかば)校長。東京の渋沢史料館で調べると、日記に<同年1月20日、歌子とともに訪れた写真館で撮影>とあった。「この写真のことなのか」。新札発行を祝って、児童、地域の人たちとともに開封しようと思い立ち、この日の式典になった。

 宮下侑奈さん(6年)が「なぞ解きが楽しみです」と全児童の気持ちを代弁。体育館で待ち構える中、額がしずしずと入場する。湧き起こる歓声。黒い幕が取り払われると、額の裏には「大正十五年一月二十日撮影」「穂積歌子寄贈」の文字。嘉藤校長の推理が当たった。「歌子さんは八基小に寄贈するために写真を撮り、特注の額に入れて贈ってくれたのかもしれませんね」と児童に語りかけると、拍手が巻き起こった。

 招かれた渋沢栄一記念館の河田重三専門員は「校名に残る八基の旧村名は、栄一翁が付けた。八島の国(日本)の基に、そして、そういう日本を支える子どもたちを育てたいという栄一翁の願いがこもっています」とエールを送った。

 最後に校歌を歌い、栄一翁の写真を真ん中に記念撮影。その写真は正面入り口で栄一翁の隣に並べられ、ともに、登校してくる児童を見守ることになる。「子どもたち、地域の人たちと一緒に素敵な未来が作れました」。嘉藤校長の口調は幾分高揚しているようだった。【隈元浩彦】

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