長崎に投下された原爆に遭いながらも、当時いた場所が、国が定めた「被爆地域」の外だったとして被爆者と認められていない人たちがいる。「被爆体験者」だ。9日の長崎原爆の日、初めて「被爆体験者」が平和祈念式典後に首相と面会する。被爆体験者は「被爆者と認めてほしい」と訴える。

援護には一刻の猶予もない

2024年7月末、長崎市の鈴木史朗市長は「『被爆体験者』の援護の問題は一刻の猶予もない。速やかに解決しないといけない」と述べた。

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約20年にわたり「被爆者と認めてほしい」と訴え続けているにもかかわらず、未だに認められていない「被爆体験者」。長崎市で早期の問題解決を目指す集会が開かれた。

会場には高校生や長崎と広島選出の国会議員が参加するなど、救済を求める動きは広がりを見せている。

第25代高校生平和大使 安野美乃里さん(長崎東高3年):
広島が認められて長崎だけが認められないという状況がおかしい。世論、市民の声を大きくしていく必要があると感じた。

「被爆体験者」とは

「被爆体験者」は長崎に投下された原爆に遭いながらも、当時いた場所が、国が定めた「被爆地域」の外だったとして被爆者と認められていない人たちだ。被爆地域は原爆投下当時の行政区域、主に長崎市だったエリアを基に定められ、放射線が降った地域の調査など科学的な検証は基になっていない。

爆心地から半径12キロの場所にいて「被爆者」になる人もいれば、8キロで認められない人がいて「不条理」感を生んでいる。ちなみに広島では爆心地から40キロ離れた場所でも被爆者と認められている。

問題は、広島と長崎の同じ被爆地で国の対応は異なっている点だ。

「体験者」たちは原爆投下後、放射性物質を含む「灰」が浮いた水を飲んだり、大気中の放射性降下物を吸い込んだことなどにより「原爆の放射線による健康被害を受けた可能性が否定できない」として、「被爆者と認められるべき」と訴え続けている。

広島では放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた人が被爆者と認められているが、長崎の「体験者」は対象外とされている。このように「体験者」の問題には、いくつもの差別、分断がある。

15年間、聞き取りを続ける被爆体験者

被爆体験者は8月9日の長崎原爆の日、初めて首相と面会する。

代表して発言するのが88歳の岩永千代子さんだ。原爆投下時、岩永さんは「被爆地域」のわずか外、爆心地から10.5キロの現在の長崎市深堀町にいた。

原爆の後は脱毛や歯茎からの出血、甲状腺異常などに苦しんだ。被爆者と認められていない他の「体験者」たちも、原因不明の病に苦しんでいるのではないか。約15年前から独自に「体験者」への聞き取り調査を行ってきた。

被爆体験者 岩永千代子さん(88):
風邪だと思って病院に行くと、白血病。奇病と思われるような不思議な病気にさいなまされて何これって。1人じゃないでしょ、あっちもこっちもいる。

岩永さんは、被爆者と認められないままこの世を去った多くの「体験者」を見送ってきた。

被爆体験者 岩永千代子さん:
首相と会う時にまずその人たちのことが浮かぶ。そういう人たちが苦しんできたこと、軌跡をぜひ分かってほしい。「頑張ってください」と言った手のぬくもり、忘れません。「私たちも被爆者でしょ」ということを訴えたい。

あの日の光景「3枚の絵」

岩永さんは、面会で岸田首相に3枚の絵を見せようと考えている。

3人の「体験者」が、79年前のあの日の光景や、その後の苦しみを描いた絵である。

「被爆体験者」の嶋田サチ子さん(84)

絵を描いた1人、「被爆体験者」の嶋田サチ子さん(84)。原爆投下時、爆心地から10.5キロの西彼・時津町子々川郷にあった自宅の近くの畑にいた。

被爆体験者 嶋田サチ子さん:
原爆が落ちたときは空襲警報もならない。母も小屋にいてピカドンとしたのと一緒に家のドアとか全部外れてしまった。私は外におった。母が「サチ子、何やったと?」「お母さん、ここの上で飛行機が衝突したよ」と言った。ちょうどその時にきのこ雲が上がっていった。

鮮明に覚えているのは、原爆投下後に降り注いだ大量の灰である。一緒に暮らしていた祖父は積もっていた灰を集めて、自宅に持ち帰ってきたという。

被爆体験者 嶋田サチ子さん:
祖父がこの灰が肥料にならんやろかと。家族みんなでふるいにかけた。ふるいにかけるために網を吊って、家族みんなで真っ白になりながら頭からふるいにかけていた。

嶋田さんは放射性物質を含んだ「死の灰」だったに違いないと確信している。灰を集めた祖父は数年後、腹がふくれる原因不明の症状で死亡した。一緒に灰の処理をした叔母は肝臓がんに、ふたりの姉もがんを患った。嶋田さん自身も40代のころに、脳出血で倒れ半身不随になった。

被爆体験者 嶋田サチ子さん:
うちの家族はみんな酒を飲まんとよ。でも腎臓とか肝臓とかがんで死んだじゃないですか。一番上の姉も。私は絶対放射能でこうなった。おじいちゃんもお腹がふくれたのもそれだと私は思っているから、私は広島と同じような対応にしてほしいというのが願い。

初めての首相との面会に体験者は思いを込める。

「なかったことにしないでほしい」

「首相が少しでも心が動いてくれたら。長崎も広島と一緒だと思ってほしい」と願う被爆体験者。7月末「体験者問題を知ってほしい」と行ったビラ配りには高校生も参加した。

被爆体験者 岩永千代子さん:
私たちは高齢者で先はありませんが、決して同情しないでください。同情は要りません。私たちが核の影響を受けているという実感を皆さんにお伝えしたい。

岩永さんが特に「おかしい」と訴えているのが、「被爆体験者」が「原爆の放射線による健康への影響はない」とされている点だ。岩永さんは「被爆者だけでなく『体験者』も原爆放射線の影響ではないかと思われる病気を患っている。国は調査、検証をしてほしい。『被爆体験者』が受けた可能性のある核の被害を調査もしないまま“なかったこと”にしないでほしい」と強く訴える。

「被爆体験者」の救済に向け、国は新たに動き出すのか、岸田首相との面会は9日、長崎の平和祈念式典終了後、午後から行われる。

(テレビ長崎)

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