長崎に原爆が投下されて9日で79年です。
多くの人が犠牲者を悼み、平和を願いました。
79年前の1945年8月9日、長崎に投下された一発の原爆により約7万4千人の尊い命が奪われました。
今年の平和祈念式典は過去最多となる100カ国とEUの代表が参列したものの、長崎市がイスラエルを招待しなかったことを受けて、アメリカなど複数の国とEUが駐日大使の出席を見送りました。
〈長崎平和宣言〉
鈴木史朗 市長
「軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます」
被爆者代表の三瀬清一朗さんは「平和への誓い」の中で、世界の子供達の将来を憂いました。
〈平和への誓い〉
被爆者代表 三瀬一朗さん(89)
「世界においては核兵器の使用が示唆されるなど、一触即発の緊張が続いています。万が一使用されるとこの地球がとんでもない状態になる可能性さえある」「子供や孫たちが安心して過ごせる青い地球を遺していくために、被爆国日本こそが、核廃絶を
世界中の最重要課題として真摯に向き合うことを願ってやみません」
浦添美知子さん(沖縄から参列)
「歌とか聞いたら涙がでてきて、(亡くなった兄も)こんな辛い思いをしていたんだなと感じた」
約20年にわたり「被爆者と認めてほしい」と訴え続けている「被爆体験者」の岩永千代子さんです。
原爆が投下されたとき、岩永さんは「被爆地域」のわずかに外、現在の長崎市深堀町にいました。
岩永さんは被爆体験者として初めて総理と面会しました。
岩永千代子さん
「北東部8キロ 黒い雨、灰が降った間の瀬地区の松尾恵美子さんが描いたものです。姉は腹が膨れて亡くなり、祖父は部屋に入るのに鈴を鳴らしていました。髪が抜け、脱毛状態だった」「これが現実です。内部被ばくの実態そのものです。総理に申し上げます。私たちは被爆者ではないのでしょうか」
岸田首相
「岩永会長から直接、聞かせてていただいた。大変つらい経験についてお話し頂いたこと、心から感謝を申し上げます」「広島との公平性についても指摘があった。政府として早急に課題を合理的に解決できるよう、厚生労働大臣において長崎県、長崎市も含め、具体的な対応策を調整するよう指示をいたします」
面会のあとには総理と直接言葉を交わしていて、被爆体験者は問題の解決に向け期待を高めています。
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