5月に刷新したタンカーシリーズ。生地の表地は100%植物由来ナイロン、中ワタはポリエステル、裏地はリサイクルナイロンの3層構造に。糸は東レ、生地は丸井織物、染色は小松マテーレと、「化学繊維の最強のメンバー」(松原賢一郎さん)が手がける

特徴はポリエステルのワタを挟んだナイロン生地。軽くて丈夫で、ポケットが多く収納力がある。飽きのこないデザインで、ブリーフケースをはじめ、ボストンにトート、リュックサックも。通称、吉田カバンと呼ばれる、吉田(東京・千代田)のブランド、ポーターの主力シリーズ「タンカー」だ。

5月、そんなタンカーの表面の生地が、100%植物由来のナイロンに変わった。量産化は世界初。一般に合成繊維は枯渇性資源である石油由来だが、原料はトウモロコシと、ヒマシ油の原料となる植物「ヒマ」だ。

1983年に誕生したタンカーは、昨年40周年を迎えた。「これまで節目の年には形や色を追加していたが、それだけでいいのだろうか」(取締役で開発本部本部長の松原賢一郎さん)と企画は始まった。生地や染色など、川上から全て見直すなかで出合ったのが、東レが開発した100%植物由来のナイロンだ。「薄い生地だったが、とてもしなやかだった。見た目ではなく『中身』をアップデートしよう」。かばんには難しい薄さだったが、約2年半かけて共に開発し、「従来のナイロン製品と変わらず使用できる仕様」(東レ)を実現した。

ファスナーの引き手も先端が隆起したものに刷新し、開閉がスムーズに

吉田カバンは1935年、かばん職人だった吉田吉蔵さんが独立し、吉田鞄製作所としてスタートした。関東大震災の際、ひもの両端に家財を縛り、肩からかけて荷物を運びだした経験から、「かばんは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」との考えが、どのアイテムにも通底する。吉蔵さんが企画し、職人仲間のそれぞれの得意分野を生かしながら製造する体制をとり、62年に自社ブランドのポーターを立ちあげた。まだブランドにこだわる人が少なかった時代。百貨店に卸したかばんが購入されても、どこの会社が作ったのかがユーザーに伝わらないと、ブランドを作ったのだ。

タンカーは「ミリタリーウエアの代名詞であるフライトジャケット『MA-1』をモチーフにかばんができないかと作られた」(松原さん)。例えば、パイロットのヘルメット入れをモチーフにしたバッグなど、ミリタリーの要素がちりばめられている。ただ、発売から10年以上も「全然売れなかった」。アパレルショップの店員など一部のファンはいたが、バブル期にかけて流行していたのは、ファッション同様かばんも海外ブランドのライセンス商品。「廃番にするという話も出ていた」ほどだという。

火が付いたのは90年代後半のテレビドラマだ。木村拓哉さんが使用し「翌朝から電話がじゃんじゃん鳴った」と松原さんは思い出す。吉田カバンからのアプローチではなかったため「最初は何のことか分からなかった」そう。その前後で、今では多くのブランドで実施されている他ブランドとのコラボレーションをいち早く展開したことも重なり、知名度が上がった。

甲陽産業の工場で働く職人は3人。海外でも人気のタンカーは下町の小さな工場で、職人の手からひとつひとつ生まれている(東京都台東区)

その後現在にいたるまで、基本的には広告を出すことも、インフルエンサーに頼ることもなく、支持を集めてきた。「うちのかばんは、ひっくり返しても使えるくらい、処理も含めて完璧なんです」と松原さん。ブームに終わらなかった背景には、職人の技術に裏打ちされたものづくりがある。縫製は、1つの自社工場に加えて、数十社の協力工場が手がけ、創業時からすべて国内で生産している。

「『かばん屋辞めて服作るのか?』って言ったんだよ」。70年代から吉田カバンの縫製を担い、今もタンカーを手がける甲陽産業(東京・台東)の池田松郎さんは、初めてタンカーのふわふわの素材を手にした時を思い出す。生地は間にワタが入って伸び縮みがあり「要領を得るのが大変だった」。

同社の池田信一郎さんは「初代のタンカーのデザイナーは自分が思っているかたちを追求する人。指示通りの作り方をしないと絶対に通してくれなかった」と振り返る。難しい要求があった一方で「褒めてくれたり、こっちから(作り方を)提案してみたり。だから作るのが楽しいんだよね」。担当者とのやりとりのエピソードは枚挙にいとまがない。

工場を見せてもらうと、この日縫っていたのは、肩掛けや斜めがけもできるサックパック。細かなパーツが30種類以上あり、場所によって入れるワタの量も異なる。それらをひとつひとつ組み立てるようにミシンで縫い合わせる。蓋の部分に等間隔に美しく施されている3本のステッチは、1本ずつ縫っているというから驚かされる。

美しい3本のステッチは1本ずつ職人が施している

新素材に変わり、これまでより「気を使うことが増えた」と工場を担当する池田裕さんはいう。「でも、そういうことは今まで何度もやってきたから」と信一郎さんが続ける。互いに相談し合い、工夫し、改良していく。50年にわたる関係性が、自信をのぞかせる。

タンカーの愛用者は当初は主に男性だったが、最近は女性も増え、5割に近づいているそう。近年はフェンディなど、ラグジュアリーブランドとのコラボレーションも話題になった。海外でも人気を集めており、韓国やタイなどポーター専門の海外店舗は15店に上る。

見た目は従来とほとんど変わらないが、新素材を用いることで価格は約2倍になった。足元で売れ行きは好調だが、「もちろん不安はあった。ただ、あのときやっておいてよかったね、と思えるようなことをやらないと」(松原さん)と踏み切った。

新素材は植物由来のため、石油由来と比べ、温暖化ガスの排出量の低減につながる。「でも、それよりもまず、楽しいし、わくわくしませんか」と松原さん。この服を着ると、このバッグを持つと、なぜかテンションが上がる。「ファッションってそういうもの。『すごい、これ植物からできてるの!』って驚いてもらいたい」

井土聡子

岡田真撮影

[NIKKEI The STYLE 2024年8月11日付]

「NIKKEI The STYLE」のX(旧Twitter)アカウントをチェック

【関連記事】

  • ・ドイツのキッチンが愛される理由 進化は100年続く
  • ・フランスの庭が生むジュエリー 植物の美そのままに
■NIKKEI The STYLEは日曜朝刊の特集面です。紙面ならではの美しいレイアウトもご覧ください。
■取材の裏話や未公開写真をご紹介するニューズレター「NIKKEI The STYLE 豊かな週末を探して」も配信しています。登録は次のURLからhttps://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=S004

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。